えーどうなのよ、なリサイタルであったが、言葉の位置がイタリア語の場所に来ているからありかな、というコンサートに行って来ました。
イタリア在住20年ってこういうことなのね。
日本語とは、人に聞こえないように工夫して喋るという、類い稀な語学であり、言葉からくるメンタリティー、メンタルからくる言葉、あるいは元をたどれば、どうやって「喰ってきたか」からくるものだとは思うが、静かに空気読み合って声を殺して暮らして行くことが、私たち日本人の営みの基本である。
そしてみんなで発言を控え(みんなが考えているようなことをマジ考え)みんなと同じにフツウに暮らすのが一番なのである。
「フツウ」であることに心血を注いでいたししろーの実家は、がちゃがちゃ喧嘩ばかりしていつもケツまくっているような宝槻の家からすると大変静かで穏やかなようであったが、お父さんは極度なアスペルガーであることはすぐにわかったが、家族みんなでそれを見ないようにしている様が異様であった。
「普通が一番」と呪文のように唱えていたお母さんは、静かに発狂していた。
しかし、そんなうちは「フツウ」にいっぱいあるんだろうよ。
発狂する前にうたってみたらどうだろう。
アスぺを実直に継いだししろーは本領を発揮しているが、世の子育ておかあさんおとうさん、最近はやりの「個性を発揮して好きな仕事をする」とはこういうことですからね、仕事してないじゃないか?って、仕事しないを仕事にしてるのさ。もうお金もないだろうが、一切不安がないというのもさすがアスぺ、2000万ないと老後が不安とか小さいなあ、毎日ドイツ語の勉強をしてるんだってよ、わたしはみみっちい人間なので、日々機織りをして、売れない布織っておりますよ、はい。
「だんなさんはアスペルガー」という漫画があり、それはほんと、ししろー物語であるが、奥さんが「わたしはフツウだからすごく困って大変で、そんなもんと暮らしたからカサンドラ症候群になりました」という展開がつまらなすぎで笑える。そして売れない漫画家だったのが、それをネタに食ってるというところが再度笑えるし、同類の家族会だかココロのケア会のようなものもあるようだが、
こういうタイプをだんなにしちゃうというところで、もう女としては勘悪すぎだし、あるいはジェンダーに頼らず生きていけるのかもしれないし、フツウってなんだよ、フツウって。
発達障害とか言って理解しようとか差別しようとか、どちらでもいいが、そこに愛はあるんか?ゲテモノだというのは「フツウ」な人の断罪であり、ゲテモノ界ではあなたがゲテモノ、とか負け惜しみを言うこともないが、
ゲテモノなやつは俺んとこに来い、俺もゲテモノ心配するな(植木等)
くらいな太っ腹でいてくれよ、善良でフツウのみなさんよ。
All need is love.
そんなみんな一緒でなくちゃ安心できないなら、上から統制されている社会主義国家へ逆亡命でもすればいいが、
さて、本当に口の下の方でもごもご喋る日本語はうたにするとすぐに喉に来るが、一番響く鼻腔共鳴に持っていかないように工夫して暮らしているんだから仕方がない。
日本に生まれてうたをうたうなんて、革命戦士だな、ははは。