宝槻美代子オフィシャルブログ

バカボン

 金曜の浅草公会堂。台東区の小学校のみなさんは、オケなども持っている優秀な音楽熱心区で、こうやってマミーシンガーズであちこち行くと、こと小学生の音楽教育に関してのみの意見だが、決して平等という事にはなっておらず、それが予算の問題ではなく「できる」校長先生がいるか、とか「やる気」の音楽の先生がいるかなどという関係で「活性化」は決まるようす。

 

 そうすると最後の一緒にうたおうのうた「あいさつは魔法の力」などもえらく上手なのであった。私はここでかなりぐっときてしまった。ひたすら舞台に立って目を開いてるだけで、ひとつもうたえないのである。こっちが感動してどうする、であるが。音楽なんか主要教科じゃないし、どうでもできる部分だが、ここ熱心な学校ってだいたい全体の様子が良い。

 

 マミーは人気で6の公演にたいして200も応募が来る、選りすぐりな学校に行くことになっているので、たまにはやる気の無い学校とかにも行ってみたい。

 

 今までで一番やる気の感じられない学校は我が子どもらが通ってた近所の小学校だが、校歌を弾けない先生というのが毎度赴任してくるのは恐れ入った。だからうたの指導がいいわけでもなく、でもこの辺は進学熱も高く、音楽なんかどうでもいい教科だし、それならそれで音楽なんかやめて「算数」に振り替えすればいいようなものだが、別に算数教育が特段いいわけでもなく、息子は「学校で習ってない解き方」で回答を出すたびにこっぴどく怒られてたが(それ知っててわざとやってた、嫌らしいガキだな)

 

 こういうのも「公務員問題」だと思ってる。確かに公立小学校の「成果」ってわかりにくいし、でもたとえば音楽教育にちょっと熱心な先生なんか一人いると変わるよね。そうやって子供たちが生き生きうたえたり、算数の解き方を工夫してみたり、生きる力を引き出すってことじゃない、成果ってそこしか無いはずだよね。教えてる相手の表情一つで教えてる側が「よーし!さらにやるぞー」って思えないなら教育現場から去ってほしい。教育者のご褒美なんか「それだけ」だから。

 

 西新井アリオの本番。日曜
いやあ、そうですよ、うたなんかうたったことない人大半で譜も読めないと公言する人大半なこのクラスのこの本番を聞いてほしいよ。人にはうたう権利がある、声は絶対でる誰でも、と私は信じているが。

 

 2時間、打ち上げまでに時間があったので、散歩要員のししろー呼び出して「五反野」散歩、ほんと思いつきで歩いていたら マミーで初期の頃行ったことのある小学校に行き着いた。それはそれは熱心な音楽の先生はマミー版「フィガロの結婚」の為に1年かけて子供たちにフィガロの結婚を教えてくれていた(良かったのか?その演目で・・ではあるが。「カルメン」よりは良かろうか)

 

 コンクリート殺人事件という凄惨な事件のあったこの地で、教育委員会あげての「テコ入れ」があったのかと私は思っている。学校の塀に張り巡らされていた「正しいよい子の標語」がそれを物語っているが、それが当時のままなのかかなりあせていた。

 

 子供の数も減っただろうね。全部忘れたい、と願うことすら終わったという「最果て」

 

 その10年近く前のマミーの公演時に、ここで高校の同級生に声をかけられたのを思い出した。
「ほうつきちゃん」と言う呼び名は かのバカ高校での私の呼ばれ方だったので、一瞬ドキッとしたが(そのバカ高校名を知られたくなかったので。今は平気だけど)

 

 彼女はこの小学校に子供2人通わせ、近くに一戸建てを買い(年賀状にその一戸建ての前で4人で写ってた)PTA役員をやっている様子だった。そう、彼女は高校で生徒会長だったよな。家の事情だったか頭の事情だったかで高校出てすぐ東京電力に入ったんだった。そこのところ少し相談されたのを思い出した。大学に行きたかったのかも知れない。東京電力なんか大学入ったら絶対入れないから良かったんだよ!と私は言ったと思った。

 

 ここも良いクラスだった。不規則発言の多い私に皆は寛容で、「大学を受ける私」の為によけいな仕事はしなくて良いと言ってくれ、印刷屋の娘は大量の紙を単語練習用に裁断して渡してくれたりした。

 

 ししろーと五反野駅前のマックに入り時間調整。

 

人生は一回しかないんだよね、

 

あんたって私に一戸建てどころか服一枚買ってくれないだんなだったがね、

 

でも一戸建てなんか買ったら寂しいでしょ?

 

 そうかも知れない、と少し思う。家族である「一過性」が少しでも確からしい「固定」を持とうとすることが悲しい。その前で晴天の日に少しよそ行きな服と顔で写真に収まった、その後みんな大きくなっただろうね。「そこ」は正月だけ集まる場になっているか?いやこの雇用の厳しい昨今「みんなまだそこにいる」のかも知れない。

 

家のローンがやっと5年分終わった若いお父さんが、残業そこそこに娘の誕生日に帰って来てケーキを家族3人で食べるという悲しいCMを私も息子も「よく理解」するが、ししろーは説明しても「わからない」のである。天才バカボンである。

 

多摩川が氾濫して多くの岸辺の家が流されたときに、多くの家族がとっさに

 

持ち出したのはお金でも通帳でもなく「アルバム」だったというね

 

永遠に漂流していたい、とわたしは52になっても思っている。何も「所有」したくない、と思っている。人はどこから来てどこへ行くのか身をもって確かめたいと思っているだけなんだと思う。つまりは私もバカボンなんだね。同じ穴のバカボン。

 

そして「所有」は「事実」ではない。意識である。

 

 

 

 

 

  

 

母さん助けて詐欺

 あしたが浅草公会堂の「あいさつは魔法の力」の今年度最後の公演で、これ終わるとシビックのクリスマスコンサート、その先が当教室〆の会、昨年好評だったのでまたやります。飲みだけ参加OK、余興あり。でも大まじめな声楽の会ではあります。インフォ

 

12月22日日曜 夜6時45分開演 マミーシンガーズ クリスマスコンサート 入場2000円

 

二期会会員であり母であるマミーシンガーズの毎年の自主公演 

 

12月28日 昼1時半開演予定 ホウツキ声楽教室の〆の会。本郷MA vision 無料 

 

20名くらい出演予定、ぜひ遊びに来てください。

 

 

 

 来年はばかばかしいオペラ発表会のようなものを作ってみようかな、前のフィガロの結婚のような。どこまでやりきれるか大会をやってみると一皮むけるのではないかと思う。

 

 ふざけたこと出来ないのは「まじめ」だからではなく、気の弱さをまじめにかこつけてるだけだから、ほんとうに「ふざけたこと」が出来るのは大変な能力と思われる、

 

 いつも舞台に立つと思うが、あああ、今こうやってあがってたりしてやりきれないのは毎日「まじめ」な練習なんかしてたからだよな、と。

 

 でも「まじめ」にしてる方が楽なんだもん。

 

一番いけないのは、まじめにしてるしか「臆病」で出来なかったのに、向こう側行ってる人に「不真面目」ということなんではないかね。

 

「本気」の反対が「まじめ」といっても近いかね

 

「まじめ」な人々の鬱憤、というかストレスというかそういうのの累積がつまらん「消費」を生むが、なんでもかんでも「消費」しろ、というのは「欲しがりません勝つまでは」よりヒドい政府の方針だ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 今日ふと思ったが、警察が推奨していた「かあさん助けて詐欺」というネーミングはどうしたんだろう?このごろ公式にも「オレオレ詐欺」に戻っているような気がするが。

 

 おれおれ(と言うことは娘じゃなく息子)。母さんは息子の要求に弱い、ということなのか。ばあさんになっても息子から何か言ってくると目の前が真っ白になって金だしちゃう、なんて悲しい「母さん」の性質だろう。普通あり得ないよバーカ、と思うわけだが、そこは息子に対してバイアスな考えを持つ「母さん」だからね、いやな詐欺だな、止めとけよ、そんなことするの

 

女の子と男の子を育ててみてわかるのは(我が家だけの事情じゃないと思うが)女の子は「まじめ」である。男の子は「バカ」である。

 

 登校時間が迫っていて焦っていても男の子はそこに興味のあるマンガでもあれば拾ってしまう、とかさ。

 

 さっきの文脈にしたら男は「本気」と言ってもいいのかも知れないが、

 

 さて、「奥さん」にはとっくの昔にその「本気」はバカと紙一重だし、そんなバカにバカやらせてんのも「まじめ」なあたしがつまんねえ家事育児いっさい引き受けてるからだよバーカ、と知っている、

 

 あんなバカになるくらいなら「家事育児」引き受けて静かにしてよう、という魂胆が私は嫌いだが、結果平均寿命が10以上高い。「まじめな女」の勝利である。

 

そんな男のバカさかげんをとことん知っている「奥さん」であるが、「母さん」な「わたし」はそれを「知らない」のである

 

 母さんがかわいそうではないか、他人のバカ息子にだまされる謂われはないだろうよ。次回「オレオレ詐欺撲滅オペラ」を提案してみようかな。

 

 あんただって誰かの息子だろうに。あんたの母さんはあんたにお弁当作ってくれたりしなかったのか?(バカだからお昼前に食べちゃったりする)、寒い日にマフラー巻いてけ、みたいなことはいわなかったのか?(女の子は寒い日にはちゃんとマフラーを巻いていくからね) ハンカチ持って行けとかいわなかったか?(どうして手洗い後に手を拭かない?)、

 

「かあさん」はいつも君を心配していなかったか?

 

それはほんとに「無駄」で「徒労」で「うざ」いがさ、母さんの心配は君のブレーキにしかならないはずだし、寺山はまず「母を殺せ」と言ったけど

 

 かあさんはとっくに知ってるよ、「それがどうにもならない」ことを。

 

でもさ、他人のバカ息子にだまされる所以はないからね、しっかりしよう世の母さんたち!そうだ、うるさいついでに「オレオレ詐欺してないでしょうね?」と自分の息子に注意するのは?

 

そうか・・

 

 「自分の母さん」は騙せないのか息子。どんな息子も「孝行息子」なんだね(涙)
 

 

「言葉」と「カラダ」の関係

 もうこの教室でやっていることは「言葉」をどう「体」に置き換えていくかという事で、何をやっても最終的にはそこに行き着くんだろうよ、私のコレペティは今週その「想像力」が筋肉を一ミリ動かす力、と言うような言い方をしていたが。

 

 これをやらないと「体」はいつまでも本来的な力を取り戻せないし、自分の体が自分のイメージ(言葉と言っていいとおもう)と寸分なく重なることを「生きてる」というならほとんどの人は「生きてない」し、もうひどくなるとそんなこと一つも気にならず、結構満足で生きてたりもするんだろうよ。

 

 不満だったり苦痛だったりは一つ進むサインだと思う。そんなことがありましたら是非当教室においでください、本番終わったら月曜も解放、木曜午後はレッスンすることにしました、行列のできる教室。でも売れたら横柄になって味も落ちた荻窪のラーメン屋のようにならないように気をつけてます。

 

 私は本気なんである。何がかというと、そんな私たちの真の「解放」を目指す、ああ、全共闘みたいなこと言っちゃうが、

 

 そんな話になったからついでの余興でおやじの与太話で言うが、こういうの「おやじ」はいいたい、

 

 センカク問題を「問題」とし(そんなもん寝かしてた話じゃねえか)ケネディの娘とかいう「親日家」をよこし、親日が聞いて呆れるレヴェル、スシ、フジヤマ、ゲイシャ、マツオバショウ、ナンデモグットデスマス・・秘密法案をごり押しで通し、わかりやすく威嚇の飛行機を米軍は中国近くに飛ばし、アメリカはもう完全に中国を「やる」気でいるようだが、それをもちろん不沈空母の日本を巻き込んでやるんだが、それにお誂え向きの低学歴内閣は漢字もかけず英語も出来ず、なのに「アイコク」なんという難しい言葉を使い(ミシマの一個も読んでない方に500円)またアメちゃんの毎度の「そんな事」(もうほとんどお笑いの病気、そこが深刻さを失っていてやや滑稽でいいが)に巻き込まれようとしていることに「積極的」だが、

 

 総理の顔は既にサンダーバードのようで息をしているかもようわからん、トレモロスニッポン、ワタシダレデスカ?ゲイシャデス、言わされている訳ではないなら「本気」なんだろう、お腹が痛くなった段階で一回死んだのかも知れない。「死人」の本気は怖い(レディ・アベは元気だぜ)

 

  しかしだ、たたかれようがアホと言われようが、自分の息を体をトリモロし発言してほしい。

 

 成城石井やヨドバシアキハ店で通路の真ん中に人のじゃまも考えずつっ立つ身体感覚の中国人と決して仲良くなれない気がするが、だからといって背中からいきなりドついて良いことにはなっていない。丁寧に道の端に寄るように指導しようではないか。人間には「言葉」があるんだからさ(でも昨日、長年中高の先生をしていた生徒と盛り上がったが、日本人戦争になんか行かれないですよ、まずまっすぐ歩けないから、という御意見、わたしは「戦争の時間」に集まれない方に500円)

 

 こら、米、たかだか200年の新興国が、中国とか歴史4000年超だから、いい加減にしてよ自由と民主主義も

 

 こういう時は好きな中国人顔を一人でも思い浮かべてみてほしい、謝謝、ユンデリーかな?演奏というより弾いてる顔が好きだったので、写真集も持ってます。ショパンコンクールのファイナルでちょっと間違った時には息を飲んだなあ。きゃあかわいい。ちゃんと弾けたら2位だったかも。少なくともヒロコナカムラの評価が違ってたよ。おばさんはああいうのが好きなんだな、おばさんになったらわかる。力のあるおばさんは(おばさんはたいてい力がある。実力じゃなく「力」)は「いたいけのない若者」が好きなのさ、おじさんの若い子趣味と同じ。で、ちょっと三国人ダったりするとさらにいい、とか嫌らしいな。東方神起とか普通に金持ちだってば。おばさん達が心配するに当たらないが、紅白はダメか。また別の「島問題」が絡んだ?

 

 そうだ、コンサートのお知らせとかしないとなんですが

 

 今週末に迫った奇聞屋での生徒の会、なかなかの熱い展開です。世の中の声楽教室でこんなに生徒が意欲的でうまい事路があるのか聞きたい、へんな(へんじゃなくとも)音大の発表会よりは格段にうまいと思う。

 

 私はやめればいいのにここでヴェルディのマクベスの、一番ヴェルディがこだわったという2重唱をやるんだが、すげー難しかった、もうタイムアップだが、これやってたこの1ヶ月を私は忘れない。それはダメだんなを引きずるシーン、決して浪々とうたえない、という「うた」がいったい体のどこで成立するのか皆目わからなかった。

 

が、ここ何日かはこれと平行してやらなければならない(けどあんまりやっていないが)同じヴェルディのレオノーラ(トロヴァトーレの)が「快感」でなくなってしまったことで、もしかするとレディマクベスの方向に私は進んでいるのか?

 

張り上げるオペラとかばかじゃん、

 

体で響かせると言うより病んだ精神を響かせるというか・・わからないです、あと1日しかないのに、何をしたらいいのかさっぱり。とりあえず暗譜くらいしようと思う

 

 

 

 奇聞屋  11月30日土曜 開演2時から  西荻窪から1分 チャージ2000円  ホウツキ声楽教室の生徒有志8名と客演&私

 

 

 

 すごい生徒が。でも客演もなまじじゃない。こんな日本人見たことない。実験劇場毎度。

 

 

 

 

 

クラス会

 20年ぶりにクラス会、小学校、そこは村の分校みたいな規模で、6年間クラスは1つしかなく、でもそこにはその後の人生で会うほとんどの人間のヴァリエーションがあった。

 

 集まったのは約半数20名くらいで、少し遅れていったんだが、おじさんおばさんのグループがあるなあ、と見過ごした。まさかそこだと思わなかったよ。みんなで集まると遠目にはほんとに中年グループ、近目でもそうだが、そうか52歳グループって初老といっても良いくらいなわけですよ。
 

 

 うまくいくことやうまく行かないことを抱え、あきらめたことあきらめてないことを持ち、それでもとにかく自分の信じるところで、自分以下でも以上でもなく生きてきたんだ、私たち。どっかでなんかで誰かと知り合い、生殖したりして、その子どもが難しかったり、いやどんな子どもだろうが子を育てるって大変な事よ、はげちゃったり太っちゃったりしたってしょうがないよ、あのころは等しくみんな子どもだった。本質的なところは変わってないんだ、と飲んでるうちにばれてくるが、とにかく私たちは生きてきたんだなあ・・

 

 そしてそれは「一段落」したんだろう。もうこの先私たちに起きる抜本的なことは「死」なんだろうから、それを待つでもなくなんとなくぼんやりしていれば「全部終われる」

 

一人の犯罪者も出ず、禁治産者も出ず、新聞沙汰にもならず、ノーベル賞とる者もおらず、大金持ちになる者もおらず、

 

 いいクラスだったなあ。神田と秋葉原の間の日本で最悪に空気の悪い岩本町交差点の裏の小学校。もうとっくに廃校だけど
 
・・・・・・・・・・・・・・・・
晴天に恵まれた3日間は駒場祭だった。

 

 息子のクラスは焼鳥屋をやっており、こういう学祭で作る食品は衛生上どうなのよ、といつも思っているが、食べてみるとあまりのタレの甘さに、これならほとんどの細菌は死滅だろうよ。学校にも慣れたようで、いや、私がやっと慣れた。中高では毎日5分と違わない時間に帰宅してたから、大学入ったら帰ってこない日があったりで(といってもせいぜい先輩の家に泊まるとかだけだが、それも近所)わたしはパターン主義者で、イレギュラーなことがきらいなのですが家族がいれば散らかりますね。

 

まとめない、まとめない

 

 いろんな義務やらがはずれてきて、一生を一年にたとえたら(4月始まりな考え方で)11月ってかんじ、もう夏は来ない。私は夏が大嫌いなので、こうして寒くなり少し物も考えられるようになり大変楽しいが。
 
 秋の駒場をししろーと散歩、高級住宅街、すごいね、誰が住んでるんだろう?セコムの営業は成功しているようだが、一次違いで大違いのアコムを利用しているうちが軒並みという地域だってあるだろうよ。アコム利用してます、ってシールも玄関に張るといいと思う。押し売りは来なくなるよ。

 

 貧富の差というのは永遠に縮まらないだろう。平等など永遠に成し遂げられない机上の空論だが

 

小学校のクラス45人だってまったくに不平等、勉強できる奴、足が速い奴、良い価値は割と独占されていて、ばか、のろま、デブなんか一手に引き受けてる子もいたよなあ。

 

でも「持ってるもの」でやるしかないんだから

 

何が私達を生かしているんだろう?

 

 

 

むしろ持っているものを「提供」する事においてのみ「平等」なのだと思う。「報酬」ではなくてね、提供する事実が全部で、その中身でも見返りでもないとするなら、人はみな生きるに値するんだなあ。そして提供することで得られるものだけで喰えるように出来ているはずだ。神は偉いね。

 

「あなたが生まれたとき」(大意)

 

ばらはその色を、百合はその清純さを、太陽はその金色の輝きを、星たちは瞳に光を、小鳥たちはその声を与えようと

 

鳩は飛行を止めて考えました。
私は何をあげたらいいんだろう?・・・

 

そうだ、わたしの柔和さをあげよう
・・・・・・・・・・・・・・・・
「提供」することでこれらのみんなが「平等」になるってことです
レスピーギが歌曲にしてます。こんな良い曲(歌詞と和音の関係が。音楽は和音の発達によりここまで表現力を得たわけです)を私はそうは知らない。

 

 

 

  

 

人間拡張の原理

久々にヒットな人物登場、人の年金の積立金23億を横領した男・・
ロトで6億当てたらMAvision(近所のスタジオね)を買おうと考えている私であるが、スケールがちがうなあ。どっちも人の金ってところで同じだけど

 

 この人ほんとに全部おねえちゃん関係で使っちゃったらしい。所持金1万だって。

 

出来るのかそんなこと。

 

 まじめに長野の農家の息子でサラリーマン。奥さんに子ども2人の「標準家族」やってたのに。ココロは怖いね。

 

 でもそのまま「まじめ」にしてたら「先」見えてるもんなあ。奥さんの実家(多分長野)の近くにちんけな一戸建て買うのが目標のような・・つまんない職場、そこそこの生活しか補償されない給料、見飽きた奥さん、勉強もしないのに反抗的な子供たち、年老いた両親・・

 

でもそんなもんじゃないのか?日常なんかなんの華もありゃしない

 

 そんな毎日を倦まずたゆまず生きていけるのはなんでだろう?と逆に自分に聞いてみる。

 

うた?まさかだけど、そこ?

 

水商売というのはたいしたものだよ。そんな田舎のおっさんを「そこにもってっちゃう」んだからね。ししろーも余りにみみっちいがこのおっさんマインド。それは「自己顕示欲」の異常増殖、水商売、ギャンブル、いやあらゆる消費はそこを多少はくすぐっている

 

「商売」には「だまし」か「おどし」しかないのである、と私は高校生の時から思っていたが。どちらかにあるいはどちらもに分類できると思う(私の声楽教室というのはもちろん前者だが、塾は後者かな、学歴社会が存在するという概念を信じさせるのは前者だが、それがないといけないように言うのは後者なのでどちらともいえないかも、うたはうたえなくても人生に何の支障も無いから、ね、花屋さんみたいなきれいなお商売よ)

 

人間拡張の原理 と言う本がマクルーハンにあるが(たしか、外なので調べられないが、あらゆるメディアを使い人は自分を拡大する)自分が自分でしかないと認識することが本当に出来てしまったら人は生きていけないのではないか?

 

誰でも実体より大きくなった自分の「幻想」を持っているはず
あるいは「大きくなるはずの自分の幻想」を

 

どっちみちそれはうそではあるが、「正確」に生きるなら今すぐ「ここを去らなければ」ならないので、「幻想」は「幻想」のままにしておかなければいけないと誰でもだいたいは知っている。

 

「ここを去ってしまった」んだろうな、23億使い果たしても最後は1万も持ってないおっさんは、幻想は実現しようとしないで死ぬまで夢見て死ぬことが穏便だと教えてくれる。

 

人生の大半を費やしてる(今日だって半日これで終わってしまった)うたがうまくなる「幻想」。「夢」とか呼んでもいっこうに同じだが、夢とか希望とか教育現場に行くとちりばめられている言葉であるが、そこきちんと考えられる教師でもいない限りまた「サカキバラ」が、そして「億千万のおっさん」が。教育現場の言葉の「乱れ」が気になる。

 

うそうそ、昔からそんなもんでありがとう、そうでないとアルチュール・ランボーを読んだりビートルズを聴いたりする気になれないだろうよ。それにそういう人々もいつの時代でもそんな永久不滅のバカがいたからこそ頑張れたんだから、頑張ろう、仲間はいるさ、汀から落ちないように

 

「そこまで行かない」を教えるのは教育というより「あきらめ」だよ、短期的には。母親はたいてい思考能力はないが(どーして子ども生むとみんなバカになっちゃうのよー)より先行して「ため息」があるはずだ。その「ため息」が子供達を汀に落とさない。

 

あきらめから「こっち」へ

 

そして自己拡張はこうやってやる、それを教える当教室、水も出さない水商売。乙 

 

 

 

  

 

文化の日振り替え

 さて、週末はマミーの仕事で南町田の小学校に。
「あいさつは魔法の力」という演目。おばあさん役(わたしね、ふん)はド派手に舞台上で転ばねばならず、またタイミングなども難しく結構練習した。わたしはカンが悪いので、こういうのはすごくしつこく練習するのだが、本番はなんとかなった、というか本番ではじめてちゃんと出来た。

 

 でも会場は案外「うた」が一番受ける、というかみんな真剣に聞いてくれるというか・・ベルカントの力恐るべし。

 

 これ12月浅草公会堂でやるので、でも一回ここでやっておいて良かったわ。

 

///////////////////////////////////////////////////////

 

 今日はまた例のように家事全般、その後コレペティの先生に来てもらい、ベルカントの神髄を・・いや、あくまで共鳴体を体に持って音を出すという事ですよ、日本人の後ろ閉めて前にだけ出す「特殊」な歌い方は、イタリア人に「あれはなにか特殊な発声でもやっているんですか?」と質問されるそうです。

 

 頭でわかっていることを体に落とし込む、体現していく作業。たとえばジラーレ(まわす)という声楽の技法もどこから回すのか、どこを回すのか、とかいろいろ難しいわけだけど、明らかにこっちのほうがいい、という道があるので、それを見つけていき、それを体で毎度そうできるまで持って行く事が出来、そこではじめて1ポイント。まず「言葉」の問題で、それを言葉から体に持って行くことが出来るというのは慣れとセンス。

 

//////////////////////////////////////////////////////

 

上島珈琲本郷3丁目店

 

 人少ないと思ったら今日は休日なのね。文化の日,の振り替え休日
「戦後文化は包丁になり鍋になった」と言ったのは誰だっけ?

 

「文化」ってなんだろうね?

 

「クソの役に立たないもの」でしょうか(キター)

 

「クソ」とは「食べ物」が無くては作れませんからね、食べ物を持ってくるために、より有利に安定的に効率よくクソを作る事を考えれば、資格もいるでしょう、あるいは 有効、効率、安全、保険、補償・・

 

「文化」とはそういうものと全く相容れないものですね。

 

「つまんない」人ほどクソのこと考えていますね。どうしたら有利、とかどうしたら不利、とかどうしたら無難、とか 安定的にクソを作るために余念が無い

 

 

 

日本も文化国家になるためにはいつまでも経済成長してる場合ではない、でもお金が無くては「文化も出来ないじゃないか」

 

そっちから考えちゃだめです、クソから逆算しないこと、「人はクソのために生きるあらず」です

 

例言:クソを作ることから考えるから電力が足りないんです

 

例言:クソ作ることから考えるからお金が足りないんです

 

例言:クソ作ることから考えるから「仕事」も終わらないんです

 

まずは文化よりはじめよ

 

//////////////////////////////////////////////////////////////// 

 

 変なことばかり書いてないで「菊水湯」に行って本日終了。2日続けて菊水湯。この頃の御時世に合わせ、最近は湯がぬるい。といってもラクーア温泉のあつ湯よりは熱い。皮膚感覚もなくなってきた後期高齢者にはぬるすぎだぜ。あと3度くらい上げてほしい。湯船で自分の歳だけアンダンテで数えてあと脳血管切れそうになって出るのが毎度臨死体験。
 

 

文京区の宝槻美代子音楽教室の講師によるアットホームなブログをご覧ください

文京区で人気の声楽教室・ピアノ教室、合唱教室を運営する当教室のブログでは、丁寧できめ細やかな指導で信頼ある講師が日常のエピソードや、音楽にまつわるお話を楽しく語っております。講師の素顔も垣間見ることができるブログとなっておりますので、受講生の皆様をはじめ、ご入会をご検討の方もぜひご覧ください。
宝槻美代子音楽教室では初心者の方から音大受験対策、主婦の方やお仕事をされている方、リタイアされた方まで世代やお立場を問わず、目的に合わせて楽しく学んでいただけます。
発表会や音楽教室に通うメンバーとの交流会など、音楽が好きな方が集い、楽しめる機会やご自身の歌やピアノをご家族やご友人に披露する機会なども豊富にございますので、ぜひお気軽にお問い合わせください。