宝槻美代子オフィシャルブログ

一個があること

アベノミクス効果はあっただろうか、みなさん。久々なうえにいきなりだが

 

 へんな言葉にすぐ引っかからないように。お父ちゃんの給料が1、2万上がったとして、それで何を買っただろうか?大きなお世話だが。子等にアメでも買ったか?それはその子等に「有益」だったろうか?

 

 もうそろそろ「アメ」の価値について考える成熟した日本になろう、ちゃちゃちゃ・・ちゃ・・

 

 一部の勝ち組だけがいい思いしているという嫉妬は誰でも持っているが、

 

 自分の貧乏を政治のせいにしちゃいけない、あなたが「不幸」なのは誰のせいでもない、なりたいものに人はなれるように人生は設計されているので、今の自分は原因であり結果であると 最近しみじみそう思うが。

 

 政治は夜警であってほしい、ただ朝起きたらスイッチを入れ、終わったら火の元を確認してスイッチを切るだけの。

 

 75歳の老人が「老後」が不安であるとテレビで述べていたが、老後とはいくつから?であるなら人はいつでも「不安」であるのだ。
多分生きてるから不安なんで、生きていることは一番精神と健康に悪い。

 

生きているとは不安だが、その不安を一番解消というよりマヒさせるのは、スピードだろう

 

 生きていることを越えるほどのスピードは死んでるのに近い相対性理論である、こういう言動は息子に「はあー?」と言われるだけだが、いいんだよ、孤独とは引き合う万有引力である、と言った詩人があるではないか。

 

 頭と体、あるいはどっちも悪くなるとスピードがないので、人は不安になる。老後の不安とはそこだが、若くてもそこダメな人はたくさんいる

 

 そんな人の「不安」を危ない葉っぱで解消、みたいな事をしていると先々良くない、と歴史は教えるが、「歴史」は国民の「現不安」には勝てない。

 

 頭か体かどっちかかどっちもかが悪い為政者が不安を煽り加速させるが、先々に戦争が起こるはず、とかいう「予感」で軍備を拡張してみたり、恐れ多くも憲法を改正したり、原発全部止めて何も困らないのに、先々困る、と言ってみたり・・

 

「成長」してなきゃ不安病。

 

 「経済」成長とは何?それは企業成長である。企業というものは際限なく利益を生まなくてはならない宿命だが、それはとどのつまりは「破滅」への緩やかな、あるいは急速な道のりであり(一つの方向、右斜め上に進むばかりの事物などあり得ないし、そんなものはどこかで止まるか消滅するかであるから。情緒的に云っているわけではない)人はそれにつきあうことはない。

 

 資本主義社会のなれの果てを人類はまだ見ていないのである。
つまり、このシステムが当座のものとしても、至上に考えたりするのはナンセンスだと思うのである。それはかつて共産主義こそが人類救済への唯一の道だと思われていたように、である。
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 2週間で本番3回、久々に全9曲もうたってみました。今年は発声を変えた一年で、ある程度の苦労の成果はあったと思うが、声が変わったというより、耳が変わったと思う。

 

 もう〆の会で今年うたい納め。今年は最後うたいます。来年はリサイタルします。教室は来年の5月には発表会、これはキャンセル待ちの人々も含め、すでに締め切り、ご期待ください。

 

 その前に(3月予定)公開レッスンやりますが、これ公募しますね
今のところ五枠あります。

 

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 いろいろ言いながら、わたしは「うた」のことしか考えてこなかった20年だった。そのほかのことは全部「2番目以降」だったなあ。だから「ししろーの悪行」にも耐えられたのだが・・

 

生活なんかどうでもいいのである

 

「そういう一個」

 

それを持っちゃった人はみんなこんなだろう。政治家もそうだろうよ、国民は何百億もかけて、この人たちのステージを作らなきゃならないが、立候補しないような人に一番やって欲しいが、政治家は。

 

 子どもの幼稚園の頃のお母さん2人が寒い中、「学会活動」ご苦労様です。電話勧誘もあるけど、だいたい選挙って頼まれて入れたりするものじゃないでしょ。

 

 でも彼女たちの「その一個」になってるからねそこは。
風邪もひかないんだろうが、わたしも「うた宗教」のおかげで風邪もひきませんが、

 

 みつけっちゃったんだね

 

「ひとの「その一個」を笑うな」だね。それが頭わるーでもダサー、でも。
じゃ、あんたのうたってどうよ?とか言われたくないもんね。

 

 ししろーもその一個を見つけちゃったらしく、「活動」が忙しく帰ってこなくなっちゃったようで。たまに見かけるけど。もうそれを糾弾したりするのはやめよう。「脱会」したってここには戻って来ないだろう。

 

 わたしはそこを「うまく」やりたかったわけではないから。
私はとっくに一人で喰えるようになってしまったし。
でもなんか理想があったんだよね、イズムと言ってもいいのかもしれない。なんだろうね。そういうこと他人にたいして考える者を「独裁者」というのかもしれない。イズムが違うからと言って糾弾しない、を家でどこまでやれるのかやれないのか・・
 
 家は浅間山荘じゃないからね。

 

 どうぞ、どこへでも。でも私はいつまでもここでバリケードを張り、「断固反対」(何に?)を言い続けていることとするか。その一個を守り、「それ」とっくに無い?

 

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でも

 

私にはうたがあるから。この一個のおかげでなんかは失ったんだよ

 

いや、1個が「ある」ことと9個ない事は「一個」であるに違いは無い。

 

 

 



 

生活なんかどうでもいいのである

 

「そういう一個」を持っちゃった人はみんなこんなだろう。政治家もそうだろうよ、国民は何百億もかけて、この人たちのステージを作らなきゃならないが、立候補しないような人に一番やって欲しいが、政治家は。

 

 子どもの幼稚園の頃のお母さん2人が寒い中、学会活動ご苦労様です。電話勧誘もあるけど、だいたい選挙って頼まれて入れたりするものじゃないでしょ。

 

 でも彼女たちの「その一個」になってるからねそこは。
風邪もひかないんだろうが、わたしも「うた宗教」のおかげで風邪もひきませんが、

 

 「なにか」をみつけっちゃったんだね

 

「ひとの「なにか」を笑うな」だね。それが頭わるーでもダサー、でも。
じゃ、あんたのうたってどうよ?とか言われたくないもんね。

 

 ししろーも何かを見つけちゃったらしく、「活動」が忙しく帰ってこなくなっちゃったけど。たまに見かけるけど。もうそれを糾弾したりするのはやめよう。「脱会」したってここには戻って来ないだろう。

 

 わたしはそこを「うまく」やりたかったわけではないから。
私はとっくに一人で喰えるようになってしまったし。
でもなんか理想があったんだよね、イズムと言ってもいいのかもしれない。なんだろうね。そういうこと他人にたいして考える者を「独裁者」というのかもしれない。イズムが違うからと言って糾弾されるに値しない、を家でどこまでやれるのかやれないのか・・
 
 家は浅間山荘じゃないからね。

 

 どうぞ、どこへでも。でも私はいつまでもここでバリケードを張り、「断固反対」(何に?)を言い続けていることとするか。永劫野党の共産党のようにね。 

 

 

 

センター

小学生連れ去り事件が年間100件近く起きているという事だ。

 

 人間とは必ず自分より弱い立場の人に「イヤなことをする」ように出来ている

 

 という身も蓋もない事実に向き合わないと、いじめから戦争までの「しょうもない」人間史が読み解け無いが、そうだとして、幼児やら無抵抗な女児にそれを向けるのは本人も大抵は弱者の極み、保護対象か保護対象すれすれのマージナル人であろうが、道徳的説得などは無効である。「良心」などというまともな感情が発露している段階でもう人は「弱者」ではない。

 

 私は小学校2年の時に地域の「変質者」に殺されかけている

 

 放課後、家の近所で遊んでいて家と外を何回か往復していた。「その男」とはその日何回か目が合ってる。
人を噛む前の犬のような顔だな、と後から考えればどこかで思っていた。団地の階段の踊り場のようなところで突然抱きかかえられダストシュートに連れ込まれた

 

 殺されるんだろうな、と「静かに」思った。

 

 暴力というのはこういうものだ。相手の「気」の中にいるので手も足も言葉も出ないのである。子どもの警戒心訓練などが無効だとは思わないが、向こうの圧倒的な「やる気」には多分勝てない。

 

 ダストシュートに落とされるんだろう、と思った。ここは説明しにくいが、抵抗するどころか「協力を惜しまない」的な気持ち。なにか圧倒的な「納得」

 

 しかし、ある瞬間相手の「気」が落ちたのが分かった。本当にその男が「ワレに返った」瞬間を見た。

 

 男が去ってからも私はしばらく(1分くらいだろうけど)そこに居続けた、つまり「気」の支配というのはそういうものだ

 

その時の心情は、助かったというより、
 もう行ってもいいのかな?
だった。なんかすまないような気がした。本当に怖くなったのは家に帰ってからだ。

 

 相手の「気がそれた」理由は分からないが、私は勝ったんだろう。なにか紙一重でそっち側に落とされてしまう子ども達の事を思う。防犯意識を高める、というより、気を発する訓練が一番有効だと思うが、特に危ない場所に行ったり、普段行かない場所であれば、子どもであってもある程度「気」を張っているだろうが、そこはそれ、「気」のゆるんでいる自宅近くでやられるのである。

 

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 「気」でしか説明できないことが、うたをやっているとよくある。あるいは全部はそこでしかないのかも、「気で圧するようなうた」はダメなんだと最近よく思う。相手を支配下に置くような「圧倒的なうた」と言うようなことをわたしは思っていた時代が長かったが、今は「気」に乗ろうとしている。具体的にすごく音が変わってきたような気、がしているが、気のせいかもしれない。

 

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 うたが楽にうたいたい、楽しくうたいたい、声が楽に出したい、などという「理由」でやってくる「初心者」は大抵そんなにうたに興味はない。

 

 まず8割以上が聞いたこともない。うたなどなんの訓練もいらないのだからうたってしまえばいいのだが、風呂で鼻歌をうたったりもしていない。
コマーシャルのうたを真似したりもしない、それどころか悲鳴もあげなければ怒号もあげなければ、大声で喜んだりもしなければ、下手するとほとんどしゃべりもしていない

 

 それなのにいきなりこのマイクなしの1000人レヴェルのホールで激しい喜怒哀楽やら人間の本質をソロでうたうジャンルに挑戦する、という暴挙。

 

 結果のどを締め、よく言われるニワトリを絞め殺したような声でうたうことになるが。

 

 ある生徒が自虐的に語ってくれたが、部屋で練習していたら、その妻と長男が「おやじ!大丈夫か!!」と言って飛び込んできたと言うんですね。聞けば、妻がお父さんが部屋で唸っていると長男を呼びに行ったらしく、当時彼は定年後で天下り先の仕事で少し悩んでいたそうで、そのうなり声(いや、練習)からよからぬ事を想像しちゃったらしいんですね。微笑ましい家族エピソードでした。

 

 しかし、それでも唸り続けよう!と私は思う(部屋のドアに「声楽練習中」とか書いておいてね)そういう乱暴な事でもしなければ、現状打破出来ないという予感は正しいと思うから。なんでもやるときは極みからやりたいという人間の不思議が私は大好きである。

 

ひとはうたう権利がありますから
 
 うまいからうたうんじゃなくて、
 生きているからうたうんだ、とやなせたかし(故人)も言っている。

 

つまり、「その支配」から逃れるために、その逃げられない「気」から脱出するための、それがたまたま「声」で「うた」

 

出来たらうたう前に悲鳴の一発も出してきてほしい。

 

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 最近地震予知とか火山噴火予知とかそういう機関の研究者が、はあ?な会見するのに私たちはびっくりしているけど、フクシマ原発爆発時に東電はじめそういう機関で働く不思議な理系の人たちがいっぱい虫干しの刑だった。

 

 土砂災害防災センターなどという類の「センター」がたーくさんあるのを私は建築関係の財団でバイトしてたので知っているが。

 

 それらは建設省の天下り先ですから、トップは東大京大出て官僚になって3回天下った挙げ句の完了間近なじじいの双六のあがり先なので、みんな内幸町新橋界隈でお昼高いウナギや寿司を食べて旧交を温めているだけだし、その下のセンター員はもうひたすらデーターを資料化しているだけで

 

 だれもだれをも救う気はない。そういうの「仕事」って呼ばないで欲しい、
仕事とは自分のなけなし(いやいっぱいあっても)の能力で人を幸せにしようとする「徒労」である。

 

理系の良心的最先端は聞くだに涙の出るようなヒューマニズムに満ちあふれている。でも「組織」(センター)に入るとどうして人はああなっちゃうんだろう。こんなところで風呂屋のばばあ会議のような事云ってるのもどうか、だが、私達は皆不思議で不満である。

 

どうして「組織」ってへんちくりんなの?なんでへんちくりんな答弁をしてるの?誰を守ってるの?何を守ってるの?

 

 土石流災害で今後たった一人も死なせない!とか思って仕事してるだろうか?土石流センター員は。

 

 人を良くしない技術なんか何のためだ!と言いたい

 

そう、これは余談の余談だが、私は今日ファックスのインクリボンを変えるのに1時間以上かけ、取り説も探し、いろいろ研究したが果たせず、ここの製品は過去2回洗濯機で理不尽な(私にしては)故障起し(もう二度と買わないわ、一人不買運動。取り扱いの説明が「アホ」、家電屋のくせに東電でセンター、でももうどこかに買収されたらしいが)
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さて

 

 こんなにたくさん声を出したい!という人々が私ごときのところにやってくるが、これをあらゆる意味で「声楽センター」にしない事が大事だと思う。毎度毎度の真剣勝負と音楽的「良心」にだけ従いたいです。

 

 自分だけの観点だと狭くなるので、

 

 公開レッスンでは毎度良心的な講師をお招きしているが、先週公開レッスンのレベルの高かったこと・・その「変えよう」というこちらと本人の努力は奇跡を見るようでした。

 

 次回は2月以降だと思いますが、またこのシリーズは発表会以外に年間3回くらいはやっていく予定です 、い以下

 

ここに公開レッスン風景を貼りたいが・・写真の取り込み方がわからなくなってしまいました、去年は出来たのに・・。

 

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今年の予定

 

ホウツキ声楽教室 発表会 2014その2

 

2014.11.9(日) 6時45開演

 

文京区シビックセンター小ホール

 

入場無料

 

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「発表会キャンセル待ちだった生徒6人の発表会」 11月25日(火)文京区シビックセンター小ホール 7時開演 入場無料 私も10曲くらいうたう予定。

 

「マミーシンガーズ、例年の年末の会・今年は昭和歌謡など」 12月5日(金)文京区シビックセンター小ホール 7時開演 入場2000円 もちろん私うたいます、踊ります(?)

 

「コールドルチェ・文京 定演」12月7日(日)文京シビックセンター小ホール 7時開演予定 入場無料

 

「第3回 2014 当教室〆の会」 12月27日(土) 本郷名曲喫茶カデンツァ 1時から開演予定 入場 500円 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

合唱 火曜10時から 邦人作品中心 於:男女平等(とほほ)センター

27から大変な人生でしたねぇ・・

 

 などと手相見に言われたが、それはまさに私が結婚した翌年だが、いろいろあったといえばあったが、都度都度面白くはあった、いろんな意味で。

 

そう、それは「我が闘争」であったよ。

 

「貧乏」というのも初めは楽しかったが。続くとなあ・・でも今でも貧乏汁が滲みたおでんのこんにゃくみたいなセルフイメージが私は好きかも。貧乏が似合う、というのは難しいよ。
 「奥さん」というのは三ヶ月くらいオモシロかったが、すぐ飽きた。
 「お母さん」というのは二人生んで、心から向かないと思った。

 

 向かないから「努力」したが、うたでも何でもそうだが、努力は「向いている」にはついぞ勝てない、でもむしろあと2人くらい生んでおいても良かったと思う。頭でやってるから「優秀な人材」を送り出せたかも知れない。

 

 最近ほんと立て続けに「子育て失敗お母さん」に相談(勉強が出来ないのに大学行きたいから音楽大学って・・ああた)を受けたが、皆一様に「良いお母さん」。子どもがやっと本気になってくれて的な事いって、応援したい、好きなことに全面協力、みたいな甘い事いってくるが、こどもがもう口の利きからしてなってない、大人をなめてる(お母さんを舐めきってる様子がよくわかる)お母さんが子どもの顔のぞき込んで「そうよね?」と了解取ったりする。そこ、子どもがイライラするのもよく分かるが。

 

 私は真実を言ってしまうので、子どもは全員泣く羽目になるが(大抵ハンカチとか持ってないので、あらかじめテッシュを用意しております。ご利用ください)お母さん、これはあなたの仕事ですよ。っていうか、これ私本気で仕事にしようかな。失敗子ども引き受けます業。これが世にいう「ゆとり」で「こどもの好きに」で子どもはレッセ・フェールでアンファン・テリブル。

 

 でもFラン大学や、音大やらはとにかくなりふり構わず生徒欲しいからこういうのに門戸を開いてしまうんですよ。AO入試とか推薦とか自己推薦、アホでもオッケー入試、自分でオッケー入試、中入ったら勉強するというが、18歳を丸腰で戦わせろよ、そのぎりぎりの努力は人を作るし、これから高齢化社会をそんな脚力でどうやって支えていくのさ。だったらさっさと「現場」で働きなさいよ。

 

 優しいお母さん、というか自己の薄いお母さんというか、生体エネルギーがよわいというか、「牛のお母さん」というか・・
これならヤンキーの母子家庭の方がお母さんに「エネルギー」があってよろしいわ。

 

 子育てに向いてる子育てママが大抵子育てに「失敗」していると私は思う
(だいたい子育てってなにさ?そんなの仕事にするなよ、主婦の偽装労働)

 

 子育てが向いているというのは何であろう?牛になりやすい人、であろうか。私は丑年で、うしっぽい性格(どんな性格だよ?反芻癖とか鈍重とか草食だけど肉は脂っぽいとか)だと皆から言われるが。

 

 「生んだとたん乳牛」みたいになっちゃって、挙げ句そのまま牛になった「お母さんたち」ヴァーサスそれダッさ、と思ってる人間牛の問題、ってすべての「子育て」あるいは男女平等センター問題の根幹よ。

 

 混んだ車内でベビーカーたたまない、とか乗り物で騒ぐ子を放っておくお母さんとか、こどもの話題しかないとか、自分の頭で考えないとか、ほんとイライラするが、みんなで思いやり持って子育てを見守ろう、と言うような意見(それホント上から目線)も組みできない(こどもは国の宝みたいに言わない。人間にはゴミになる権利もあるから)

 

でもー

 

 牛の身にもなってみろよ、と思う。子供産んだとたんクビから下が牛になっちゃったら、あなたどうします?二つしか道はないです。その違和感を一時的に受け入れ、また人間になる日を待つか、全身牛になるかです

 

 牛やったり人間やったりで疲れるんである、ほとんどの「まとも」な「子育て」は。でも牛になり切ったお母さんはそれ終わったら経産牛で、グラム七〇円くらいでたたき売られてしまう。ああ、日本の(過去のと言っていいのだろうか?)M字型就労とはそういうものだ。

 

 よってもう労働市場に出ないで、趣味やボラで「生き甲斐追求」という手もあるか?

 

それは「放牧」が解放だ、と言うくらい逃避的である。
 
 牧場を捨てよ、街に出よう、「飼育」という構造的差別を拒絶せよ。

 

私はこの手のお母さん達こそ「教えてみたい」自分の声をトリモロそう!週一回午前中「あなたの声」でうたいませんか?これは女声合唱に入りませんか?のお誘いです。実は。

 

 火曜10時から12時。コール・ドルチェ 文京  文京区男女平等センター(これがどうも・・冗談ではないらしいのですよ) 見学歓迎 ぜひメールください。info@houtsuki.com

 

 

 

 私もあなたも女性ならば生まれながらに「二流市民」の枷を負ってますが、さらに結婚してさらさらに出産して「大変なこと」になっていないだろうか?労働は搾取され続け、それを「愛」の名に言い換えたり「フツウ」に言い換えたりしながら、ごまかしごまかしきた事でしょうが、「何かが絶対違う!」という感覚はまだ私もあなたも生きている証拠ですよ。

 

 上の子の行ってた保育園は園長と保母とがいつも揉めていたが、「子ども達に争いの場は見せないで欲しい」などという親が多くてびっくり(マジに言うんですよ、子どもは神聖みたいなことを)闘争の中に真実を見つけられる子どもにしようとは思わないのか?そこを言葉で考えたり話し合ったりするのが滅多にない「英才教育」の場だと私は思ったが。

 

 違和感、矛盾を隠さず言葉にして声を出そう。いいものは常に正反合を繰り返し動いているはずだ。

 

「家父長制と資本制・マルクス主義フェミニズムの地平」上野千鶴子 岩波書店

 

古い本だが、何も付け足す事は無いように思えますね。その後日本に本当の少子化が来た、ってくらいがおまけ。それはそうなって当然の帰結に過ぎない。

 

 まずは理論武装。女の人生は生まれながらの闘争である。であるからこそ「女に生まれてきてよかった」と最近しみじみ思うよ。
 闘争の中でしか「良いもの」は育たない故。

 

 そう、先週行った東大生協に上野千鶴子の直筆サイン色紙があって、「学問は極道だ」とあった。スゲエ。

 

   

 

夏休み絵日記2

「貧民の殿堂 ドン、キホーテ」も昨日の夜行ったらなんだか陰りが、、
憂鬱な面影をたたえていたのは、単に来客数の問題だけではなく、私のなかの物欲の陰湿な部分と「この場」が一つの通路でつながっており、それはむしろ私が「行く」という行為を自発的にしているようでいて、一方的な方向でパノプティコンのようにこの「殿堂」がわたしの「欲」を監視して操作しているように感じたからだ

 

 入り口の金魚。いや、熱帯魚の巨大な水槽の怪しい色彩、無駄に大勢いるレジ、皆黒服のようなコスチュームで「殿堂」に迎え入れてくれるが、それは「監視」の陰湿な演出のようもである。中央階段はドレミの音階になっているが、気が抜けない。どこで止まってもいけないのだ。いやはやカフカ的になってしまったが。

 

 「もうここも終わりだなあ」

 

 などと店内で無邪気に大声で言う50歳ししろーを昨晩は連れて行ったが、こいつは案外「魔除け」なのかも知れない。どんなアニメにもこういうキャラクターがいるものだ。「未来少年コナン」におけるジムシーとか。場の周波数と違う、狂言というか、それで言うなら、サンチョ・パンサだわ。

 

 「欲望」は常に監視されている

 

 その監視人は一人である、あるいは不在時が多いかも知れない、あるいは人形であるかも知れない、それはみんなが「監視されていると感じていること」でしかないかもしれない。

 

 つまり、人は欲望するように仕掛けられている。その装置がある限り、「いきているうちに」幸せになることはないだろう。

 

減量しなくてはいけないのに食べなければいけない、ウコンの力を飲みながら酒を飲まなくてはいけない、原発爆発の恐怖に怯えながらネオンサインを煌々と灯した下で恐怖を忘れるために踊り狂わなくてはならない、平和のために爆弾を作り、体を壊してまでも働き続け社会保障費を払い、軍事費を払い、電気代を払い・・・

 

「ドン、キホーテ」というのもよく考えられた命名なのかも知れない、と思ったら怖いなあ。物欲を小さく果たす事により何かの「幻想」を見ているような。馬は痩せ馬、「幻想」の殿堂。

 

私はほぼ毎日行っているが、早晩文京区民には飽きられてしまうかも知れない。というのは、私達は「幻想」をもう具現化している、あるいは具現化しているという「幻想」のなかで生きている人が多いからね。みなさん、本郷ドンキに行きましょうよ。あの位置は客の流れが不思議と東京ドームシティーから来ないのですよ。区民で盛り立てねば。

 

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 東京ドームシティの隣に住むというのは、始終悲鳴と雷鳴(サンダードルフィンの)とドームのイヴェント毎に様々な人種の坩堝と化すコンビニ(だいたいその日のイヴェントは当てられる。オレンジタオルは巨人戦とかは勿論、ジャニーズもSMAPと嵐と関ジャニでは違うし、外タレも違う。一回変におばさんばかりの日があり、当てられなかった。きみまろか、とも思ったが、ドーム5万をあけられるとも思えないし。答えは韓流スターだった)

 

 サンダードルフィンが上がる毎に夏休みに入った頃から「コブクロ」の曲がかかるようになった。それもワンフレーズをミニマルミュージックのようにかけるのでたまらない。朝から夜10時までである。一ヶ月以上我慢してたが(クーラー入れてたから窓閉めてたのでそれほど気にならなかったと言うのもあるが)ここ一週間涼しいので窓を開けてるとまあひどいこと。早速クレームを入れるが、当然聞き入れてはくれない。ご意見として伺ってくれるだけだ。といっても翌日から音量は下がったんだが、一ヶ月に渡り聞いてきたフレーズは耳についているので、小さくしても耳が聞き当ててしまう。

 

 どうにかなんないんですか?
 イヴェントですので
 これかけて何か集客数が増えたんですか?
 それはわかりません
 いつまでやるんですか?
 9月15日までです
  
 商店街の繰り返される音楽とか、こうして今いる喫茶店のいらぬジャズとか、客の回転数を上げるためにはテンポの速い曲をかけると良いのは、昔米帝が考えついたサブリミナル効果のようにせこいが、それは安くてまずいコーヒー一杯で長居するのもなんだよな、と思うような私のような気の小さい人にしか効果はないと思われる。ことにスマホいじってるような現代人はその辺の皮膚感覚は鈍化しているので効き目はないかもよ。

 

 同じ様な意味で東京ドーム後楽園シティーであの爆音とともに特攻隊のような乗り物に興じられる人々に何を聞かせても盛り上がることも盛り下がることもあるまいよ。集客数に変わりがないなら、それは「気のせい」だからやめて欲しいな。私はこれでも毎日必ずそこの成城石井で買い物しているのだし、そこの温泉もよく行くし、そこの美容院でまゆげもカットしてるし、うっかりつまんない物を買ったりもしている。子らはそこのラーメンやによく行っているようだし、思えばうちは上客なのよ。

 

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 今日コレペティの「絶対許してくれない」レッスンのあと練習してたら自分の声で難聴ぎみ、今日は夕方4時からずっと娘がレッスンする日なので、そこで悔しくも練習終えられて良かったのかも知れない。気分入れ替えコロッケ揚げて、ボ「ウ」リングの試合から帰った息子にご飯のあれこれを指示し、こうしてやっと休日に。これから日成湯だが、ここは9月に閉じるそうで、昨日知ってかなりショックであった。なんだかんだで一番行く湯やである。平均週3回は行っていると思う。菊水に行くか富士見湯に行くしかなくなるが、若干遠いので寒い日や雨の日はそれこそラクーア温泉にいくしかないではないか。一回2500円くらいするのに、私は30分くらいしかどうやってもいられない。長湯が好きなわけではないので。「コブクロがまん代」にラクーア温泉券くれないかな、

 

おっと「恐喝」だな。

 

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娘のところに来る生徒は最近ことに「教育熱心なお母さんとそのお子さま」色が強く、とても教えやすそうである。

 

 私もこどもの生徒から「レッスン」というものは始めているが、上の子の行ってた保育園のこどもたちが多く、練習してこないのは当たり前、ピアノにもぐるは、ピアノに頭ぶつけて鼻血出すわ、タメ語きくわで大変であった。どうなるワレたち、と心配していたが、ピアノはともかく、まあ人としては「まとも」なかんんじで成長しており、いまだ2人残っているが、とっくに大人である。今ではきちんと敬語も使え、人は成長するんだなあ、そう、私の本に写真を入れてくれたのも保育園から見てきたピアノの生徒であるが、やりとりが真摯で良い大人になってた。
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 いろんなものをやらせてみないとこどもの才能はわからない、というのがママたちの意見だが、それには私は少し懐疑的である。まあどのみち好きなことしか人はしない。自分見ててすごくそう思う。

 

 しかし、生きていく術とは「過剰なもの」の交換だから、それで正しいのである。やるのは「いっこ」で良いはずだ。大好きないっこか大嫌いないっこ。大嫌いないっこがあれば大好きが見つかるから。大雑把で悪いが。
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夏休みも終わったなあ。成城石井もいつもの地元民だけで静かだった

 

 さっき帰ってきた息子が、夏休み「前半」が終わったなあ、とつぶやくので驚愕したが、かあちゃん、人生最初で最後のモラトリアムなんだ、許してくれというが、わたしは「そこから」すべてを始めている者なので何とも言えない、ゴールもなければ完済もない、と53まで生きてきた感想ね。ずっとやってるうたくらいうまくなった幻想でいたいが、今日の練習じゃとてもとても、何かやり遂げるには人生は短い、けどもう薄々わかるが、いつまでも発展途上、返済猶予で夜逃げだな 才能があるとかないとか、そんなの持ってるのは0.0001とかだ(と思いたいが)無い才能、伸びない才能を「のばしたいなあと思い続けられる才能」だってあるんだぜ。それが「過剰にある」ならそれで「喰える」

 

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 後楽園ドームシティ(くどいが)では夏休みの最中はいろんな親子連れを見ることになるが、まあ目をみはるような「どきゅん」な家族がたくさん。こんなところで散財しちゃって、と胸が痛むが、先週エレベーター待ちしてる4人家族。

 

 お母さん(37) あんたたちなに食べたい?
 息子(9) たこ焼きー
 すかさず手が飛ぶお母さん ばーか、そんなもん夕飯になるわけないじゃん
 こういうことに慣れているのか黙ってるお姉ちゃん(12)
 スマホ見てるお父さん(38)
 
 この感情とともに速攻で飛ぶ手とかは見習いたいものだ。体と感情の近さはうたに一番必要なものだが。教育とはそこ遠くするよね。その挙げ句練習でもう一度体をトリモロすのって大変。

 

 しかしその後この家族は4人でたこ焼き屋に入っていったんだけどね。いいわよ、たまの家族だもの、楽しくしよう。

 

 「生産の共同という確固たる基盤を喪失した家族は、いまや余暇だけを共有する「共同体」ならぬ「共遊体」と化しているのだ。家族に相変わらずの存在意義がある大方の人々にとっては、家族がいなければヒマがつぶれない、のである」上野千鶴子「女という快楽」勁草書房

 

 いや、朝食が昨晩買ってきたたこ焼き、だったりする昨今、たこ焼きじゃ夕飯になんねえよ、という感覚はまともじゃないっすか。

 

 わたしも夜9時以降は、たこ焼きか魚肉ソーセージかドンキのつまみでビール。自分のどきゅん解放時間。家庭内浮浪者と呼ばれてます。これつき合ってくれるのは、やっぱ「どきゅんなかま」のししろー。天気が良かったら上野公園でやっててもかまわないけど。蚊が怖いね昨今。
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これから日成湯。さて、すっかり汗を流すと言うより温まりに行く感じ。おでん鍋をドンキで買おうか考え中。 

 

インフォ

もう暮れのことなのか・・
今年も終わりますなあ、あと4ヶ月で来年ですよ。

 

この間に当教室、公開レッスン2回、シビックホールでのコンサート、それのキャンセル待ちの人たちのコンサートがあり、全て満員。どんだけ~、でさらに年越し寸前の忙しい年末にやり逃げの会開催です。
 

 

 出場者募集です

 

<今年最後のうたい納めの会>
3回目になります教室では毎年〆の会、と呼んでいるものです

 

12月27日(土)
場所:本郷3丁目から5分 名曲喫茶「カデンツァ」
時間:11時からリハ 1時から本番4時くらいまで
参加費 参加人数によりますが去年は8000円でした。そのくらい予定
うたえる時間 参加人数によりますが、だいたい一人6分くらい
テノールバリトン私なども重唱参加。

 

 その後5時くらいからこれも毎年の店、当教室女子会(店側は魔女会と呼んでるそうだよ)の時にお世話になっております大変おいしい上に気前の良い店長のみせ本郷1丁目「フィオーレ」にて恒例の打ち上げ。毎年費用4000円でしたっけ?(飲み放題付き)そのくらいです。これは自由参加、これだけ参加するのも可。

 

「カデンツァ」は昼ランチに行くと、真空管ステレオで「クラシック」をかけています。私語厳禁だそうです。でもこの日は貸し切りなので、大いに暴れてください、来年は出入り禁止かも知れませんが。来年こそ売りに出している(?)MAvisionを取得できるように貯金します、いやとても間に合わないので年末ジャンボを買います。今あの広い場所があると、本当に理想のレッスンが出来ると思うなあ。

 

今週末は公開レッスンその2です

 

日時 8月30日(土曜)5時半から9時半くらいまで
場所 文京区男女平等センター(本郷3丁目から5分)
内容 応募者6人のレッスンを公開でやります
講師 島川高正(テノール)杉崎竜二(バリトン)ホウツキ(ソプラノ)
山形りさ(ピアノ伴奏)
その後一曲づつ発表会形式でうたっていただきます
入場無料 途中入室退室可

 

 

 

 
 

 

夏休み絵日記

夏休みこども日記

 

4日間の夏休み、あと一日だけど、近所ぶらぶらして終わったが、練習出来たし、頬の筋肉の引き上げ方について一つ画期的な感触があったのだけど、翌日は少しわからなくなっていた。きっと顎との関係だろう。明日以降持ち越し。

 

 ごく近所に「ドンキホーテ」が出来昨日開店、早速息子と行ってみる。なんでもあるのよ、ロードサイドのでっかい消費とかに縁のない我らだが(バカにもしてる)あとで金持ってもう一度行くことに。オレここでバイトしようかなーとかいってるし。ほんと、なんでもある。よなよなビールすらある。食品も、最近近所に乱立プラウド(高級マンション)住民の動向を読んでいるようで、決して後楽園客のための品揃えだけではないようだ。2階にコスプレ用品は相変わらずあるが、案外プラウド住民は医者と弁護士が多いから、そういうプレイもするのかも知れない。深い、読みが。

 

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最終日は教育相談

 

ケース 「宝塚」受けたい

 

受けたい人も、受けて落ちた人も、いま中にいる人も、かつては受かった人も顧客だが。

 

最近は一回目が面接なので、容姿や「何か」が重視されているんだろう。宗教がかった思い込みでもないと受からないのではないかな、むしろそういうものが強い要素なのだろう。、中に入ると案外ガチに声楽をやらされる。

 

去年もたて続けに宝塚受験希望生がお母さんと相談に来た。一人を除いてお断りした。何か全然わかっていない感じだったからだが、、最近の親って「子どものやりたいことなら何でもやらせてあげた」かったりするので、まずは少しは冷静に・・基本容姿が・・今日の子はそこはクリアしてた。でも「宝塚」を一度も見たことない、って言うんだね。なんだそらあ?ユーチューブで見た、ってそれ私レベルじゃね?

 

健闘を祈る

 

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おばさんのショートヘアーは危険なんである。

 

一歩間違えるにどっぷり楽チン重視、もう何の役にも立たない毛はムダ毛です、になってしまうし、そこはスタイリング剤など気を遣わなければ。多分ロングより時間かかる

 

だが、おばさんのロングヘアーというものも、誰得?な感じ。きっといまだそんなこと言ってくれる人は長年連れ添って目が慣れてる夫くらいだろが、今なのかかつてなのか、「君は長い髪が一番似合うよ」か「オレは長い髪が好きだ」を忠実に守っている予感がする。

 

まだすれすれ、誰かの意向を気にしているのがおばさん、だろう。

 

風呂屋に来るくらいな後期おばあさん達は正しく自分のために生きているようで、ほぼ100パー、ショート、ことによるとベリーショート、ことによると「床屋」?おじいさんかおばあさんかわからない。ジェンダーフリーの実現

 

少し考えてくれる美容院に行っているが、アシンメトリーというムズカシイ切り方にしたら、日曜日にししろーに、ちびまるこに出てくる誰かに似てる、といわれた。わかるよ誰だか、失礼なやつだな。

 

この連休で、それ少し訂正して、一部染め。警視庁の仕事で最近黒くしてたんだが。その前は変な葉っぱやってる人くらい茶髪だった(痛んでただけだが)

 

そこの美容院で木曜、久しぶりにイナミちゃんを見た、ヘアカタログで。歳3つもサバ読んでて笑えた。

 

イナミちゃんはバカ高校の時のお友達。すごい美人で、どっかの短大行った後エリートサラリーマンに売り逃げたが、当時私もバカから脱却しようと毎日図書館に通って勉強してたが、その放課後日比谷図書館友達。結局彼女は推薦で短大に行ったが(推薦の面接の日にパーマを落としてきたのを憶えている)結局私はそこで勉強より、読書マニアになってしまった。毎日いろいろな本があるって目くるめくシアワセ、私は日比谷図書館の書架に入るとどきどきしたものです。そこには「大人」があったし、これからの「人生」がある、ような気がした。

 

 私は当時より、その「短大→就職2年で金屏風→子ども2人シアワセな生活」みたいな図式の強い時代に逆らって、一番就職が出来なく、男からこれでもかと嫌われるような大学を志望してたが、まあ、私もイナミちゃんの容姿だったら、、ひねたアシンメトリーな人生は送らなかっただろうよ。少なくともししろーと結婚しなくてもすんだ、とは言えると思う、うたもうたってなかっただろう。でもそれもこれも含め、今となっては何の後悔も無いがな、がはは。

 

 一瞬にしてイナミちゃんの綺麗なばかりでなく、優しかった彼女の人柄なんかも思い出した、バカ学校のみんなの事も思い出した。ね、今いくらサバ読んでも齢50、私達バカですることも無かったからみんなそれぞれにクリスマスケーキ伝説(女は25過ぎると売れない)を信じ、結婚して子ども作ったじゃないですか?その子供達がそろそろクリスマスでしょうよ、今は「年越しそば」だそうですよ。私たちの時代には考えられませんでしたね。私は母に、女は男より絶対バカなんだから、男は必ず偉くなるものだから、女はつまんない仕事なんかしないこと、外出て働いても破れたストッキングが増えるだけ、と教わりました

 

何か言って下さいよ、上野千鶴子

 

 しかし今でも私はどっかでそれもそうだな、と思ってる。偉くならない男もいる、というのは発見だったが。でもあえてその文法で語るなら、誰かを「偉く」してはいけないんではないかな?

 

 良妻賢母が校歌に盛り込まれていたけど、妻にも母にもなってみた、良でも賢でもなかったが。校歌には「磨かずば玉もなにせむ」という歌詞もあったと思うが、それを「磨かずんば」とうたって怒られてたなあ、それすごく面白くて式のたびに笑いこけてたけど。バカでした。そういうバカにイナミちゃんは乗らなかったなあ・・。

 

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今日来た宝塚もそんな「キレイ」な人生遅れるのになあ

 

それには何かが足りなく何かが多すぎるんだろう。

 

でも所詮「そこ」じゃないところにでるなら、そら、アウト!なんだから、でもアウトにはアウトの生き方が、10回裏の大逆転じゃなく、ボロ負けした後にも人生はあるのさ、ひひひ、そこはとっても多様だと思う。

 

とっととボロ負けして、一回手をついてこっちに戻ってきたら怖いもの無しと思うけど、その「ボロ負け」が難しいのよ、欲があるからね。

 

無欲になるって全ての成功の秘訣だと思うけど、やせ我慢と違うから。そこの見極めも難しい。普通が一番、とか云ってると永遠にわからないよねー。

 

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これからまたドンキホーテ

 

 晴れた。休日最終日。ここからほぼ休みなしな8月。雨上がりの庭、6時少し前、頂き物の常陸野エールビール、うま。雨上がりの庭は絶景。おう、今ボーりング(って言うと訂正される。お母さんボウリングです)から息子帰還。なにか成績を上げ、個人優勝したりしているよう。合宿最終日部内で準優勝(一応自慢、いやここにレーゾンデートル見つけないでねbyママ)私の母の弟はボウリングで大学中退(結構なところまで行ったらしい)その後バーやったり、建具ややったり、会うたびに何か違う仕事してたが、先ごろ逝去。

 

 何ピン落とそうが、最後はカバー、ですよね?いきなりストライクでも持ち越す「次回」はないのですよね?そしてカバーできなくても最後は払ってくれるんだとしたら、合言葉は「やり切れ」なんでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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