宝槻美代子オフィシャルブログ

最後

すみません、最後の日付を間違えました。訂正の方法忘れたので再度。

2015/12/31 宝槻美代子 Felice anno nuovo あってる?

良いお年をお迎えください

 大晦日。

〆の会終わりのその日から掃除に明け暮れておりまして、やっとなんとか終わり、おせちつくり、新年を迎える準備終了。

ああ、なんと私は優秀な「主婦」であることよ。

 

 しかし今年は闘った一年であった。リサイタル2回は身の程知らずも測り知れなかったが、勉強した。いまさらだけど私は「主婦」と「歌手」の優先順位を変えるという、わが闘争を・・。悩んだ一年だった、分かったことも分からなかったことも、しかしわかるまでやる、それがどんなに豊かな人生なのか、今日午後5時半の富士見湯でしみじみ思った。

人生は消費ではない、修行である。

 ありがとうございます皆さん。そして謙虚な感じですみません。明日から暇なのでまた毒な文章ご期待ください。

最後にお知らせ・・

①公開レッスン 2月13日(土)6時から9時 文京区男女平等センターA研修室 生徒6名の公開でのレッスンです。とても勉強になると思います。入場無料。出入りも自由なのでぜひ。

②発表会 5月22日(日)文京シビック小ホール 6時から9時 これの合わせも公開にします。5月8日(日)同シビック小、朝9時から12時。どちらも入場無料。

出演希望の方申し訳ない、即日満員御礼です。キャンセル待ちお受けしております。

 

本当に皆様良いお年をお迎えください。  2015/1/31 宝槻美代子

 

Ciao!

そろそろ大掃除を始めるんである。

 

 今日は靴箱が終了。その「合間」に2週間ぶりで声を出してみた。見事に通り道を忘れていた。やば、来月にはマミーシンガーズ恒例クリスマスコンサートがあります。リサイタルでやったカヴァレリアのアリアと重唱後半と都はるみの「北の宿から」うたいます。12月22日文京シビック小ホール7時開演です、当日券あります。

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 土曜は二期会の友達マサコの紹介で、今新国立で「トスカ」やっている人々とイタメシやで飲んでた。とにかくすごい、スケールが・・来週から6回くらい本番があるんだが、土曜はGP終わりと言うところで、これから幕開けなのにもかかわらず、すごい飲む・・もう自分のスケールのあまりに小ささに感じいった。

 

 スカルピアとカヴァラドッシとトスカと指揮者が来た。トスカ主要メンバー全員じゃん、イタメシやでほぼ全幕出来るというキャストぶり。

 

 イタリア語も何語も出来ない私はにこにこしてるしかなかったが、ずいぶん前より聞けるようにはなってた。指揮者は北欧の出身で、イタリア語と英語がチャンポンになってたが、一番聞きやすいイタリア語だった。そうか、こうやって語学はやっていくわけね。ワインがんがんあけるし、いっぱい食べるし、いっぱいしゃべるし、世界の主要劇場を渡り歩いている人々。スカラでさあ、みたいな話がふつうに出る。急に立ってうたう。しゃべり続ける。

 

日本語の擬音語がうけて、日本人がよく使う「ぎりぎり」が受けていた
ぎりぎりございます、ございますはフォルマーレだ、といわれればそうだよね。ごろごろ、ぐるぐる、そんなこと何回も言って涙出るほど笑ったりしてるの。

 

 ちょっと「うつうつ」する家庭内の事項があったんだが、すかっとした。この人たちにも悩みとかあるんかいな?あるんだろうが、オペラやる人々ってこんなんじゃないとね。

 

 良いオペラって見るとすかっとするが(と言ってそんな経験2回くらいしかない、たいてい眠い)オペラの人々と飲みにいって同じ効果とは・・人をスカッとさせる人が「うつうつ」とか「ぐるぐる」とか「うじうじ」してちゃいけない。でもそうなっている私が、何オペラなの?

何やってんの私?

 いや、この「主婦」の立ち位置から、私は主張する、オペラをうたおう!つらいよ家族って。どうして?愛故じゃん、つらいからって「家族作らない」とかだめだよ君たち、「舞台」に立ってつまんない「役割」を一生懸命演じきろうよ。

そこから「うた」は始まる、いや正確にいうと、そこから初めて「うた」が必要になる。

そう、台所で勉強しよう、って言った詩人がいたけど、わたしは主張する、「うたおう」、そう、そうすると私たちは人生を「手中」にする。

 

 なんか日本人ってほんとにオペラとか出来んのか?近くで見ると顔の作りとか体型とか圧倒的なテンションの高さとかぜんぜん違うじゃん・・たった4時間くらいだったが、帰りの山手線内の「日本人の会話」にふるさとに帰った感。翌日即新国立劇場で火曜日から6回くらいやる「トスカ」のチケットを購入した。それから家庭教師「クララ」の宿題をまじめにやった。次回はなんか言えるようにする!ぜったいそうする。

 

 こんなにいろいろイタリア語に金かけてて、最後に言えた一言は Ciao!でした。

Ciao!

更新するやり方を忘れてしまい、手間取ったほどです。

いやいやご無沙汰でございました。更新するやり方を忘れてしまい、さっきから悪戦苦闘してようやく入れました。

 

 リサイタル終わり、ここ一ヶ月生きた気もしないような追いつめ方をしていたんですが、やはり「リサイタル」というタイトルは重く、「秋に寄せて」とか「誰かとジョイント」とか「ほのぼのコンサート」「うた、オペラ・ア・ら・かると」「ビタミン元気・こんさーと」「みんなでふれあいよりあいなれあいコンサート」・・などなどなタイトルにしておけば良かった、とどれほど思ったことでしょう。

 

 リサイタルなんかやれる実力じゃない、というプレッシャー。でも短期間に2度もやってわかった、出るのは実力というより「味」だわ。一回目より自分でその出てくる「味」に慣れた、そしてみんなも慣れてくれたということならいずれは慣れ親しんだ味を求めて人が殺到ということになればなあ、である。つまんない定食屋だって固定ファンがいるではないか。

 

 太宰がどこかで、小説家は処女作を絶対超えられない、と言っている。

 

 教えてて言うのもなんだが、「はじめの声をそれほど人は超えない」
でもそれはピアノなんかも実はそうで、もちろん何も弾けないところから始めるわけだから、上達はしていくわけだけど、その「中身」はその人の「器」を決して超えない。いろいろな先生についてみたりコンクールに出てみたり、留学してみたりエトセトラだが、その人の持っているうまさのスケールって変わらないです。

 

 だから分を知れ、と言うようなことを言っているわけでもなく、だからこそ努力を惜しまないこと、そして突拍子もないが、そんな自分を好きになることなんですね。不断な努力はとことん自分を愛することからしか正しくは出来ない。

 

 ホウツキさんはどうして自分のうたにそんなに厳しいんですか?とコレペティに言われるが、私ほど自己愛の薄い人間も少ないだろう。愛された経験が少ないからか生きること全般に自信がないが、ことうたにかんしては劣等感しかない(算数の次、クロールの手前、きゅうりの先)

 

 しかし私はうたうのである。実は私はわたしの「うた」を熱愛しているのであった。

 

すごく良くね?

 

その密かで歪んだ愛がさ、「本番」だけ出せる悦び。ほとんど露出狂の感覚であろうか。本番であがるとか多少あるが、基本、本番だけでしか「うたえない」

 

 また来年も「やってしまう」ことだと思う。だんだんその「味」が浸透してきて、みんなが「それが食べたいなあ」と思ってくれるとうれしい。
一定のファン今3人くらいか?ホウツキ食堂。一番「うまい」と思っているのが実は自分。ピアニスト砂原さんが厨房に入ってくれるともう好きすぎてこわい。

 

 いや、今回みなさんにお世話になって多分100人弱くらいはいらっしゃってくれたんだと思います。プログラム100刷ったけど、残部が10くらいだったので。ありがとうございます。

 

 舞台全般に責任持ってくれた平山さんは、その場で的確な「キャバレー」の振りをつけてくれ、杉崎島川君たちが両方で支えてくれましたが、前からみると踊れない私の介護のようだったようですが、ここはお笑いポイントでした。ジョイントとは謳わなかったものの実際はこの両氏や、二期会の友人大河原さんや、生徒の松村君に何曲か手伝っていただき、大変助かりました。受付もししろー没後(死んだわけではない。家から没した)息子に頼んだんだが、手が回らないところ生徒のお客さんが手伝ってくれました。かたじけない。こんな場を借りて感謝大会。

 
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 進路のことを多少(いいのか?多少で、大学3年生)考え始めた息子が、かあちゃんは好きなこと仕事にしてていいなあ、というから、ちょっとそこに座りなさい

 

そんなことではありません。

 

お母さんは怖くなるほど苦手なものの中に自分の愛を見つけ、磨き続けてきましたが(たいして光らないかどうかはほっといてほしいわ)しかし今現在喉を閉め、閉じまくっている体から絞り出すような声を出し、いきなり声楽をやりたいオペラをうたいたいという無体な欲求を持つが、童謡一つうたう勇気もない多くの人々に「すべての者にうたう権利憲章」を読み上げ、その声をそしてあなた自身を愛してほしい、という「思い」を売っているんですよ。それは多分私にしかできない「仕事」です。

 

 仕事にやり方も流通も要領もエントリーシートもへったくれもありません。あなたの愛を惜しげもなく売りなさい。

 

「けちじゃないよ、ぐりとぐら、ごちそうするから待っていて」(絵本「ぐりとぐら」より)を毎晩読み聞かせしたじゃないですか。

 

「仕事」とは収支を合わせないこと。決して収支を計算しないこと、死ぬまで愛を売ることです。ごちそうすることが君のごちそうになりますように。ぜひ「灯台」まで行ったんだからうまい定食屋を目指してください。
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母親が介護が必要な人に突然なったが、ししろーは没したし、人手が足りないし、リサイタルはあるしでどうしよう、だったが、リサイタルやったので、「それ以外のことは」適当にやってたからやれたよなあ。つまりその人に「神」さえいれば、育児や介護や消費や病気にまみれないで生きていけるってことだとよくわかった。私の信仰はうたなのである、としみじみ思い知るエピソードであった

 

 もうすぐ退院するが、入院時一時パニックでぼけかけてたが、今は元に戻った。もともと少し「そんな人」だったし。すこしケバい看護婦さんを「ホステスさん」と呼んだりしてるが(嫌みではなく)地味な人は「看護婦さん」と正確に呼び分けている。

 

 母はほぼ私の歳くらいから、年金貰って「老後」にしてたわけだが、そこで演じてたのは「俳句、体操、絵手紙、お友達、カラオケ、旅行」などなど「ヒマじゃない」し「充実」「元気」つまり楽しい幸せなワタシ、だった。

 

一回の骨折で2週間ほぼ寝たきり(「元気体操」に行こうとして転んだ)介護状態。回復までに一ヶ月。今後は要介護度アップ。

 

 やはりそんなもんじゃないんだね、生きるって。シアワセも充実もくそくらえだよ。生きていることは辛いことだ、戦いだ、葛藤だ、場外乱闘だ。何故か?死ぬまでの愛の追求だからだよ。

 

それは死ぬまで自分の食い扶持を補給しなければ生きられない「ふつうの生き物」なら全てが神から与えられる試練と報酬、と言い変えても良いと思う。解らなくなる、わかりにくくなる、社会保障がイケナイが、人はヒトにはもう戻れない。この「シアワセ」の中に再度苦悩と救済と神をみつける困難。

 

 そういう意味では母親は「生き返った」ように私には見える。シアワセ、イキイキを演じなくてよくなったから肩の荷がおりたんではないかな?もう何にも楽しくないところから何かを見つけてほしいと思う。夕べに死すとも可哉ななんかを。

 

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ししろー没。

 

しかしこの人に「きちんとしろ」と言ってきたのか。ウナギに犬になれくらいな命令だったかもな。
でも「きちんとしない」とはこういうことなのか?
老後資金の計算して、ちんけな家買ってローンの計算なんかされたらがっかりだが、そのアントニムが「ホステスさんと遊ぶ」とは面妖な。

 

 でも昨日久しぶりに会ったが、どうしても嫌いになれないなあ。フウフとしてもダンナとしてもだめだったが、最高の友人になれたらいい。

 

もともとそんな風に遊んでいて、それもなんだから「結婚」してひまだから「こども」作ってみて一人じゃかわいそうだと公園ママ友みんなが言うから2人目つくってみて、全部一緒に遊んでたかったからあとづけでやってきたといえばそういうことだった。でも私はちゃんとやったよ。ご飯はほぼ全て手作り、掃除も良くやったし、音大東大の学費も出し、生活費も君よりは出し、そういうの向き不向きがあるよね。君は家庭が向いていないというより、

 

うなぎ犬であった。
海だか川だかに返してあげよう。

 

 私が甘やかしちゃったかね、ごめんなさい。実力があるもんでつい発揮してしまったが、女の実力とは家庭においてはだめでもあほでも男を立てる、ウナギであっても「あなたは犬である」と言い続けること。

 

 女はもろ肌脱がないことなんだろうなあ。出来ない、っていわれて真に受けず「やってね」を言えなくちゃ。ヨッシャ出来ないならワイがやったる!って田中角栄じゃないんだから。でもそんなに悪くなかったよね?私たち。私は少なくとも「楽しかった」がね。実力ないからジェンダー使う「前時代的女」なんかダサいじゃんよ。

 

人生はステージだ。見る前に飛べ、飛ぶ前に見るな。うまくやることなんか考えるな、やれ。やったものだけが終われる。で、次の幕が開く。
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これから菊水湯なくなっちゃったから、富士見湯。小学校の統廃合、基本的にだめだと思うけど。犬がここまでがテリトリーと感じるところがあるように、こどもにもあるし、老人にもあるし、私にもある。それが壊れてこう「グローバル化」されてもさ。真砂地区と千石と春日と小石川では文化が違う。

 

 理想をもって力こぶ握っている人に、ほらほら帯がほどけてますよ、などとシラケタこと言わないように、と太宰は言っているね。私は含羞を持ちつつ「先に」行くからね。

 

 次回リサイタルチラシは選挙ポスターのように、朝鮮ブルーをバックに人差し指で虚空を指しながらのウソ写真に「愛」と墨書きを入れて貰おう。

リサイタル 下半期

20151030リサイタル.pdf

 

皆様、年間2回もリサイタルするなんて、なんだこら、です。爆発人生下半期、ご堪能ください。

菊水湯の終焉

オリンピックのエンブレム問題、というのももう古くなった感じではあるが、2チャンの調べ力がすごくて、久しぶりに心からワロタ。

 

 「T」だけじゃなく、他のアルファベットも作っていたんです!と主張して(多分会見までの5日ででっちあげ)いる作品のセンスがすごい。特にXYZが。これはほんとに自分で作った「オリジナル」だと思われる。

 

 サントリーすらだが、いろいろな「行政」のおっさんたちが、「これが有名な佐野先生の作品です」みたいな感じで、ほいほい大金を払っていた構図の、どでかいものがオリンピックだったんだろうな。犯罪者は必ず小さな累犯を繰り返しているものだ。行政のおっさんたちに2ちゃんに投稿するくらいの黒いセンスでもあればなあ・・

 

 癒着や汚職ですらなく、「ぼんやり職員」に一回「押し売りルート」を作ると、その後わりと安泰、安定受注の法則。

 

 行政が変なガラクタ芸術を高値で落札。でも芸術なんて「愛の妙薬」より怪しいものであるから、みんながサムラゴウチに感動しているんだったら、それはただの安ワインですよ、というのもお節介な話である。サムラゴウチに「元気をもらった」人たちは「裏切られた」気持ちだろうよ。

 

 久しぶり(半月くらい行かなかったと思う)行った菊水湯
が9月末で閉店・・その後はヘーベルハウスなんかになるらしい。

 

 ここに毎日来ている老人(末期高齢者)は、一応桶持ってとぼとぼ歩いて自力で来られる人々。ここに来ると、温かいお湯とお仲間とナカシマ画伯の富士山と、高い天井に反響するケロリンの桶を置く音、男湯から聞こえてくる、少年のような歓声(テレビが野球だとね)、行政はこういうところこそ密かに耐震設計などに1億くらいかけてさ、優秀な掃除のプロを入れて、諸々存続に補助金を出して欲しい。強い意思を持って、この「木の温もり」、を超越した腐りかけた木造建造物を守ってほしい。それこそ本当の福祉だ。新しい建物に老人の「生き生き施設」なんか作っちゃうのはガラクタである。バリアフリーなんかにしなくても、風呂屋で転ぶ、あるいは溺れる老人を見たことがない(トイレ和式だし、湯船も手すりないし過酷)見栄があるからである。風呂屋で転んだらみっともないのである。私も年末に菊水湯でぎっくり腰になったが、最後パンツはくのも大変だったが、ここで半裸で救急搬送なんかされたら恥ずかしいから頑張れたのである。人は最後までプライドがあるんだから、「よくしてもらう」のは筋ではない。

 

 同じ生活を同じに繰り返す事がいつまでも出来ますように、の延長に死がありますように。

 

 毎日菊水湯に夕方ゆっくり歩いて出かけて、お仲間と少しお話ししながらゆっくり湯に浸かり、帰ってから夜9時のNHK「今日の料理」を三ツ矢サイダー飲みながら見る(ひそかに楽しい、でもそういうものだよ楽しさって。太宰が(すごい苦境の時、ったって自分で作った苦境だが、いや苦境とは自分で作っていることが多いが)夜寝る前、塩せんべい一枚食べることが喜びだった、とどこかで書いていることを思い出す。さて、戸締まりして仏壇のおとうさんにおやすみ言って寝るおばあさん、から一つのコンテンツも引けないんだぜ。

 

 江戸の文化とは優秀である。「体を洗う」ということは家にシャワーがあればいいのである。では精神は?それは風呂屋という洗浄装置が必要なのだ。「テルマエ・ロマエ」に詳しいが。

 

寂しくなるわね・・・・

 

カランに3人並んで世間話をしていた末期高齢者のばあさんが呟く

 

 何事もなかったように歴史が閉じる。そして、そこに何があったかも思い出せなくなる。そしてみんな早晩いなくなる。

 

 ここに通ったこの10年を私は忘れないだろう、というか、そこ忘れると私の大部分がなくなっちゃうしな、教室を始めた頃から通っているのか。いろいろなものを流して尚、ひとは寿命までは生きていなくてはならない。修行である。修行のお供に菊水湯だったのにさ、けっ。

 

 いろんなものを流して生きていくんです、東京でなにかがなくなって悲しくなっていると生きていけない。サムラゴウチやデザイナー佐野が企業やら行政と組んでいっぱいの偽造品を作っていることに慣れないといけない。自分が何を欲望していたのかも解らなくなるまでにそれらの力は強力であるが、私が一番恐怖に思っているのは、それらの偽造品採用担当者が「悪気」すらないことだ。

 

 「小商いのすすめ」 平川克美著 ミシマ社 

「顧客の信頼を獲得するためには、商品に付加価値をつけなくてはならず、商品創造に手間ひまを十分にかけることでしか本来の付加価値というものは商品に棲み付くことはないといえます。まさに、価値とは価格のことではなく、誠意とか努力とかいったものが微細な差異となって、商品に結晶したものであり、その微細な差異を感知することができるところまで成長した顧客との間にうまれるものです。しかし、その生産者と消費者の蜜月は長くは続きません、どこかで、消費はその飽和点に達し、それ以後生産者は、ただひたすら消費への欲望を喚起するための差異への創造へと軸足を移していくことになるからです」

三ツ矢サイダーでいい、って言っているものに、それ以上の負荷をかけないでほしい。

菊水湯、ここは菊坂の一番下に位置して、暗渠、昔「菊坂セツルメント」なんかあったという地域、この辺の家から来る子どもたちは本郷小学校においてなんとなく「異質」だったなあ。「歴史」とはそういう暗部も含んでいるんだが、じゃ、あなたが「そうだったら」どうするんです?答えは「菊水湯に行こう」じゃないんですか?

 菊水湯存続に一票。 もうだめだ、へーベルハウスの営業が立て看板出してるから。そこに「悪意」すらないからさ。 

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