宝槻美代子オフィシャルブログ

雑記

今日は久しぶりに休みである
印鑑証明をもらいに行くほかは何もないんである

 

ラ・クーア温泉でも行くか、箱根でも行くか迷っているんだが、天気悪いしラクーアかな。

 

昨日は文京区民100円デイだったので、銭湯は大変混んでいたが(また銭湯ネタかよ)ラクーアは若いねえちゃんが多いが銭湯ともなると70から80の後期末期高齢者しかいない。すこし若い世代を育てないと銭湯は成り立たなくなっていくんじゃないかと心配である。

 

ばあさん達が湯に使ってるさまはすでに性差を越えているが、なにか猿山温泉のようでもあり、人間も越えてるというか、こうして人は天に召され土に還っていくんだなあ・・・

 

がしかし、先日脱衣所で涼んでいたらテレビに松田聖子が出たとたん、そこにいた約4名のばあさんはいっせいに色めきたち、この女ほしいものは何でも取るんだよ!などとかなりひどく罵りだし、しかしアメリカで整形したとか結構な最新ネタを披露。興味津々のようであった

 

嫉妬は根深いな、もうすでにヒトからも乖離しそうな勢いなのに、そんなに女。

 

自分が(かつて)女だったからわかるんだが、女は男よりよほど道徳心は薄いと思う、そして貪欲である。誰だって3回くらい結婚したいし、100回くらい恋愛したいし、と思ってるんではないでしょうか?貞操とかまじめとかは口実で。

 

最近は「めんどくさい」という言い訳がありますね

 

たしかに今更恋愛を立ち上げるのはめんどくさい。印鑑証明を取りに行くくらいめんどくさい

 

容 姿に気を使わなくてはならないし、でれでれスナック菓子で飲酒しながら水戸黄門を見たりするのが至福な私は、その後風呂屋に行ってディープな飲み屋に行く に、いくらおばさんでも一人で行くのは憚られるわけで、そこにししろーみたいな阿呆がいると一応馬鹿話もバカだから聞いてくれるし、すっぴんでも良いに決 まってるし都合がいいんである。そりゃむこうにしたってちゃんねーと飲めば金がかかるし、おばはんはおごってくれるしな。こうして「めんどくさくない関 係」は続くんである。続く関係なんかどれもこれもこんな事情からではないでしょうか?
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いけないいけない、また下品なネタを展開していますが、音楽のことを書くんでしたね。ヴェルディのエルナーニは難しいな、ドラマティーコ ダジリタな声が必要とされますね、でもやってて勉強になるし面白いです。

 

とたんに小学生の感想文のようになりますね、音楽に興味はないんですか?

 

そんなわけじゃないんですが、私の日常は朝から夜まで銭湯行ってる時間飲酒の時間以外は音楽の事やってるので、コロッケ屋が休日にコロッケを食べないのと同じです

 

でも優秀なコロッケ屋は休日も他店のコロッケを試食して研究したりするんではないですか?

 

優 秀ではないので当店はやっておりません、昔ながらの味で勝負です、しかしこのあたりに総菜屋はあまりないから仕方なく買う近所のコロッケ屋のじゃがいもは 水っぽいと思う。じゃがいもの種類をメークイーンなどに変えるべき、研究されたし、セブンイレブンのコロッケのほうがうまいです。でもコンビニの「研究さ れ」コストパフォーマンスの良い商品はなぜか飽きてしまう。隙がないからですね。サラリーマンが机上で作った代物です、手作り感、などというものすら「コ ロッケ戦略会議」で提案されていそうですが、「手作り」とはムラと思い込みとあやふやな伝承と惰性の総称です、そんなものラインに組み込まれうるはずもあ りません。でもやはり人はそのムラを食べたいと思っている、なんでかな、人はアット・ランダムが好きです。人の成り立ちからして無造作ですからね。多少 水っぽいうたでもいいうたうたっていきたいです

 

水っぽくないうたにしたらどうでしょう

 

努力は実はしているんですね、恥ず かしいから云わないだけです。こんな努力してんのにこんなかよ、といわれるのは嫌じゃないですか。でも私は本当にガチンコ努力の人です。要領がむちゃく ちゃ悪いんです、ただし私はなんに関しても「出来ない」をまず云いません。出来ないことは多いですが。

 

出来ない事を出来ると云うのは詭弁ではないでしょうか?

 

そうです。甘い見込みです。その一点で私は楽しく暮らしてるといえるかなあ?みんな「出来る」を慎重に考えすぎです、出来ると思えば何でも出来ます

 

でも先日、発表会で生徒のやっているノルマの相手方のアダルジーザは出来なそうなのであっさり引っ込めましたね

 

いや、あれはもう少しやればできたかなあ?生徒に丁寧に断られてしまったんですよ。長い目で育ててほしかったなあ

 

それは生徒のセリフでしょ

 

私 は合唱なんかで真ん中や下のパートうたえません。今やってる警視庁依頼の老人万引きオペラのたけの役はおかみの役と多少ハモリますが、そこは特訓です。た けのアリア「一人暮らしの孤独年金暮らしの心配」は恥ずかしくて家人がいない時しかさらえないのでなかなか練習が進みません。イタリア語にしてほしいなあ

 

ハモれないのは問題ですね。合唱とか教えてるのに。

 

人の声聞いてないのかもしれませんね。でも教えてる側は歌わないのでばれないですよ

 

ばらしてますが

 

マミーなんかで声部分けるときはたいていもめます。みんなソプラノですから。前めちゃくちゃ別れる新作をやったときは悲惨でした、以降その作曲者はマミーのハモリを最小限にしているように思われるのは気のせいでしょうか?

 

懲りたんじゃないですか、それに先生も参加してたんですか?

 

下から2つ目のパートのカエルの役でした。

 

それが原因かもしれませんね。

 

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さてすこし音楽のことも書いたし、小池整体行って印鑑証明をもらいに行かねばその後ラクーアで書けたら続きを書きます 

 

新しい朝が来た、希望の朝~というラジオ体操のうたが空しい曇天の月曜、お勤めご苦労様です

雑記2

スパ・ラ・クーアにて

 

今日は午後発声のユーチューブなんか見ふけってしまった、で、ごめん遠い親戚、なにか私の印鑑とその印鑑証明書類がないと君のマンションは売れないんでしたよね?来週月曜行きます。速達で送るので

 

でもつまり発声は

 

自分で分るしかないんだな、教えていて悪いけど

 

たくさんの人を教えていて思うのは、ベルカントなんか以前の話で、みんな声を出さない生活をしているようで、オペラの発声なんか学ぶ前に道の真ん中で愛を叫んだり(また「愛」は7番目に出る)カトチャンぺっ、のまねしたり、さかなくんのまねしたり子音だけ言う遊びをしたり

 

声で遊びましょう。声を出しましょう、うたじゃなくていいので。

 

あるいは思ってることはすぐ言いましょう。

 

声を殺して、というのはぴったりだな、今まで殺してた分ベルカントでうたおうというのは賛成だが、声を殺す事は緩慢な自死だと思うので、もっと職場のみなさん学校のみなさん「声のラジオ体操第一」のようなものを作るといいのではないか?

 

専門家がうるさい事いうから、なにか専門家について「正しい発声」でも学ばないとうたってはいけないと思っている人は多いようなんだが、

 

あなたがあなたの思ってることを伝えようとするやりかたに過ぎない発声をなにか特別な「方法」でもあるかのように吹聴するのは良くない

 

た だ、前の前に書いたけど、クラシックであるという事(マイクが無い時代、お客が特権階級から庶民に移った頃の、つまり劇場が大きくなりそれなりの音量必要 な上に段々肥大化するオケより超えて届かねばならないなど諸条件のもと出すうたい方のはサーカス芸のような技術があります、鍛錬も、もちろんモーツァルト とプッチーニじゃ違う、つまり雇用主の変遷で相手にするキャパが変わったのよ、うたい方すらマルクスの言うように経済構造である。でも何故貴族階級から民 衆階級に冨が移行したか、とか小学校5年くらいの知識しかないので分らないけど。)

 

そして世の中は大多数の働かない自称「弱者」(年金生活者等)のものになりつつあるんだから、うたい方もまた変わるでしょうよ

 

小 さな声で「ふるさと」をうたったり(ベルカント的スクイッロな声は弱者には厳しい)第9を5度下げて演奏したり、1時間もかかるのは腰に負担だからいいと こだけの25分くらいにするとか(1楽章2楽章はほぼ5分に短縮だな3楽章は個人的には10分くらいはほしい、バリトンのソロからいきなり合唱フロイデ シェーネルゲッテルフンケンに飛んで、フーガ少しあって大団円で25分)

 

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7時半

 

娘は音大のフルートの仲間とカラオケ
息子は学校の図書館で9時まで勉強、帰りみんなで猥談しながら帰ってくるというが、そういう日々こそ青春なんだぜ、何かを目指せ、難しいことに挑戦して欲しい、挫折を恐がってはいけない、効率なんか考えるな、

 

やり方じゃない、やることだ!

 

 

さてアジッてる場合じゃない
もうそろそろ帰ってご飯作らねばなあ

 

夕方になると施設に入っているボケた老人たちが家に帰らねばといって騒ぐといいます

 

赤ちゃんも夕方泣きます。夕時コリックといいます

 

夕方のお母さん(引用に自信ない大意)

 

かなかなぜみが遠くでないた
ひよこのかあさんあちこちむいて
ひよこをよんでる
ごはんだよ

 

やっぱりおなじだおなじだな

 

サトウハチロー

 

昼間威勢良くてもえばっていても夕方はおかあさんのところに帰る時間、おかあさんはみんなの背負っているものを払い、リセットしてやる巫女のような役目があります、それは本当に大事なおかあさんの仕事なんですね

 

いえ(ホーム)にかえって一点もらいまた明日塁に出る。

 

セーフ、を言いに、
帰ります。

ちゃんとした発声

うっす!

 

土曜グーのライブも満員御礼で終了。
ちょっと始めの何曲かはうまくいかなかったが、その先はなかなかな出来ではなかったかな?

 

日本歌曲のそれも「さより」のようなポジションはアンザッツ1だけ、な曲は「後ろがあるからうたえないしー」などとちょっとしたウソをついていた私だが、最近いろいろわかってきたので、「理性」なんとか御せるスタートラインに立った感じです。

 

べつに「さより」をうたうことに特に魅力もないわけだが、「うたえない」のはまずいではないか。

 

た しかにこうなるとリサイタルの一つもやりたくなるなあ。今年は息子の大学受験だし、などとめずらしく「主婦」のような発言だが、でも実際オサンドンをする のは私なんだし、息子の学校の保護者会などいくと、セミロングの髪(染めてない)をうしろでバレッタで止め、小さなハンドバックとB4くらいのサブバッ ク、ボックススカートは膝丈、フェミニンなブラウスにナチュラルストッキング、黒のパンプスな思想が家庭に蔓延してないと「ちゃんとした」子どもは育たん のか!

 

育たんのだろうなあ。

 

うちの内情などを息子はよく自慢げに学校で語って「ドン引き」されているようだが、

 

ここではうちがドキュンなのか?

 

300人中中高で6年皆勤が100名超出る学校だが、インフルエンザ以外で息子の休んだ2日はどちらも「家庭の事情」だし・・。

 

でもみんなそんな「ちゃんとしていて」ココロは大丈なのか?

 

形式なんかどうせ「ココロ」が抜けてるわけだが、そこに「違和感」が発生するわけだけど、扱うのが怖いのか、鈍感で気がつかないのか、窒息させてしまったのか

 

コ コロが違和感、について追求していけば連合赤軍やオウムになるんだろうが、あるいはもうそういう集団桃源郷ツアーみたいなものにすら興味もなければ集団生 活が具体的に出来ない(朝起きられない、好き嫌いが多い、正座できない、不潔恐怖など)となれば個人で「病気」にでも逃げるしかなく、あるいは「まじめ」 に逃げて「ふつうしないよね~」を毎日唱えて「ふつう」にしてるか、いやそんなことになるくらいなら当教室に来ましょう

 

そんなことなんですか?おはようございます、ここからこのブログは突如対談形式になります、「受け」のほう担当の乙です。

 

初めてインターネットからこのホームページに入ってきた人に向けてもう少し教室の宣伝やら音楽のことをブログにも書いてくださいと新しく契約するネット会社の人に云われたものですから、

 

銭湯ねたが多すぎます

 

い や、うたの練習より良くやっていることの一つが銭湯と飲酒なもので、いわゆる「声楽」なイメージではないでしょうが、自分で言うのもなんですが銭湯ばっか り行ってる割にはうまい声楽家だ、という観点から評価してほしいです、ココロのまんまやるとこんな感じになるんですよ、クラシックというのはある「ライ ン」にはいらないと個性もへったくれもないことくらい知ってますが、しかし「標準」などというものは実はあってないので、最終的には「自分」しかないんで すよ

 

わかりにくいこと至極です、うっかりはちべえのような役をしますが、これもネット対策の一環です、するってえと御隠居はうたはだれがどううたっても「個性」なんでいいと?

 

そうです、究極は。「そのひとのうた」をうたうしかない

 

でもことクラシックの場合、マイクが使えない、大きな会場でうたう、などの条件があるわけだから制約はあるでしょう、クラシックはきわめて没個性的なうたい方のように思われます。マリアカラス以外のソプラノの歌唱はどれもこれも同じに聞こえます

 

そ れはそうですね。クラシック音楽の修行とはある「やり方」を学びそれを使って既存の作品を一つの間違えもなくやるところで初めて一段階が踏めるって程のも のです。でもそんなにがんじがらめでもどうしても滲出してしまう「その人」について考えているんですが、技術を鍛えるという非人間的な努力とココロの問題 をどうするかが私の格闘ポイントではあります、いやそれはすべてのココロが葬れない人々の苦悩ではあろうと思います。適当にやるというような解決策ではな く、宗教や病気や趣味に逃げるという解決策ではなく、ココロと形式を調和させるのは難しい、「ちゃんとした発声を獲得してからうたいたい」などと云ってる と一生うたえない。そもそもちゃんとした発声なんて「幻想」です

 

そんな事云ってると「お客さん」が減りますよ

 

「ちゃんとした発声」なんかないんです。ちゃんとした人生もちゃんとした結婚もないのと同じです。でもこれは定款のように虫眼鏡で見ても読めないようなフォントで書くことだな。

 

大々的に云ってます

 

一緒に暮らしたいとか何か面白いことをして人の役に立ったりしたいとか、良いうたをうたって感動を呼びたい、というところに常に立たないと、だから結婚、だから会社、だから発声、というのは果ての便宜にすぎません。

 

そこで教室の「意義」が出てくるわけですね、良かった。

 

「発声」なんか詭弁ですよ。もう「やっちゃった人」は「学ばない」ですから。学ぶというのはもうその時点ですでに違う、本物に近づくことを「本物」はしない。学ぶは永遠の漸近です。

 

それは約款に小さく書いてくださいよ。でも教室の皆さんは確実にうまくなっているので「発声指導」が功を奏しているんでは?

 

ネットの人が言うように「差別化」をするとしたらこの教室(私は)は発声を通して常にココロを問題にしています、それ以外にうまくなる道なんかなかろうとも思ってます

 

宗教くさいですね

 

で あるからむしろそういう言説は避けるように努力もしてます。ついチャクラとか云っちゃいそうですから。横隔膜の下げ止まりと云ってます。でも実際は前頭洞 等鼻空共鳴を使って音を出してください、というより、自分の「気」に乗せて音を一千人に届けてください、といった言い方のほうが良くなることは多いです が。

 

・・・・・・・・・・・
ココロの違和感、喰うや喰わずの時には決して聞こえない声ではあるがさ、
それによく耳を傾けてほしいです。それを「うた」というツールで考えていこうという教室です。

ラクーアで

インフォメーション

 

今週末のグーライブの告知をしていませんでした

 

土曜開催なのでぜひ

 

6月16日(土)
7時半から
本郷3丁目 ジャズライブ・グー
チャージ2000円

 

出演 杉原由利子
   杉崎竜二
   ホウツキ

 

3部は参加可能

 

仕込み中のヴェルディ エルナーニ(いやしかし謎の作品だな)重唱やら日本の歌など・・何の脈略もない作品を集めてみました・・・

 

50歳終了カウントダウンの会です、106まで生きると占いにいわれておりますので、せいぜいあと50年、エルナーニのアリアをうたえるようにすること、その「安全は確認された」オオイ原発のメルトダウンなども見届けたいと思います

 

いままたラクーア温泉でだらだらビール飲みながら書いてるんですが、ビール切れちゃったので注文してからまた続編、暫。

ラクーアで2

ラクーアにて

 

来月か再来月にホームページリニューアル予定(今日決めた)

 

偽造写真と呼ばれて(ふん、写真の綾だよ)久しい写真も替えたいし、7年だか8年教室をやっててわかったことも多数あるので、

 

人と声との関係

 

人と上げた軟口蓋の関係

 

簡単にいうと軟口蓋が上がらないから人は不幸になるのですよ。

 

「そこ」は幸福なときに上がるが、「幸せは歩いてこないだから歩いていくんだよー」という水前寺清子の教えからすると、口蓋はいいことでもないと上がらない、だから自分で上げるんだよー、といえますね。

 

な かなか「状況」というものは思いのようにならず(「思い」が薔薇色すぎるんだよ、って話だが、だからといって希望を「少なく見積もる」人々が嫌いですね、 少しの「あったかな幸せ」たとえば孫が笑っただの立っただの6流大学に受かっただの、で、それで私は満足なんだ、と思い込もうと努力して、たとえばラジオ に投稿してくるようなメンタルがあります。そういうのはたとえば「開成高校生が祖母を刺殺」なんていうニュースが大好き。やっぱり「頭だけじゃね」となる んですね。私でも知ってる心理学の「すっぱいぶどう」というやつですが、良いんですよ、バカな孫でも、軟口蓋を上げれば幸せですから。溜飲を下げるための 「へまこいた人」とかいらなくなります。幸せは「状況」ではない、自分です)

 

ねたみそねみは減ることくらい保障しましょう。

 

すみません、たびたびトイレに行く人みたいすが、またビール注文するので暫。

ラクーアで3

やはり自宅以外のパソコンというのは使いにくく、ホウツキは宝(たから)(つき)と入れねばならず、家だと子どもが設定してくれた「お気に入り」で出てくるのにですよ

 

そうしたら「宝槻徹」という人がヒットした、これは私の異母兄弟です、2チャンでたたかれるに値する人物で、子どもたち3兄弟は優秀なことに京都大という説明だが。

 

だがこの兄がどんなに落ちぶれようとも私は小学生のときお兄ちゃんが来るのをどんなに楽しみにしてたことだろう

 

美 代子いいか、で始まる話はどれもこれも面白かったし、当時北習志野にあったうちの「遊ばせてた」家(そこに浪人中の兄は住んでいた。3浪はしてた。大学も 8年は行ってた。大学で一回結婚して離婚してる)の隣は哲学者木田元のうちだったのだが、木田先生と仲良くなって、哲学かぶれになった兄からいろいろな 「哲学教義」を聞かされ、ルソーの教えをを履き違えたかのような野生児だった木田先生のお子様2兄弟と海水浴に行ったときは気の弱い私は海で意地悪され死 ぬかと思った・・・

 

プラトン学園という塾(なんて名前だ)は高校生になった私がそれでもなにか寂しくなると立ち寄ってた兄の経営していた 三鷹にあった塾だが、塾の子どもたちは本当に目を輝かせなかなか帰らなかったものです。洗脳力のようなものはあるんですね、それはホウツキの血かもしれな い。

 

つまんないですよ、「まじめ」なお父さんとお母さんのいる「家」は。公務員になれば安泰だとか早くいい人と結婚しろとか。でもそれも わかりますよ。親は安心したいんです。子どもの悲しい姿は見たくない、でもです、そんなものは絵に描いた餅だって。生きてるってそんなことじゃない。生き ろ、堕ちよ、です。

 

「プラトン学園」はそのまま本になってます。奥泉光氏が書いているのだが、彼は当時兄の大学の同級生で、プラトン学園 で国語の先生をしていた、すごくソフトでナイーヴな感じの人だったけど、そこから足を洗った後芥川賞を取った。よほど兄がいやだったんであろう、そこでの 「思い」を昇華させ「文学」にしたことは天晴れである

 

どうしてるかな徹、もう一生会いたくもないが、そろそろデッドエンドか?

 

でもあんたの持ってた「自由」な考えは確かに人を「楽」にしたね。

 

美代子いいか。そんなところで悩んでるなんてナンセンスだ、世界は君の前に開かれている、すべては思うままだ

 

と、でもおにいちゃん、それは本当だった。最近わかるようになったよ。これ見てたら元気でね、でも連絡とかいらないから。

 

美代子も元気です

文京区の宝槻美代子音楽教室の講師によるアットホームなブログをご覧ください

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