宝槻美代子オフィシャルブログ

秦志郎先生

キビシイ前澤レッスンから生還

 

4小節以上続けさせてくれないのはいいとして、そこでわーーーっと云われたことはその場でインプット、繰り返すときに全部出来なくてはいけないのでここでの集中力はなまじでありません。

 

ホウツキってすぐ出来て偉いけどすぐ忘れるよねー

 

などというお言葉も「すぐ出来て偉い」というところだけをありがたく頂戴、

 

それホウツキの本に書いてあったよねーそれでホウツキが出来ないんだー

 

はホウツキの本を読んでいただいたというところをありがたく頂戴、

 

先生について約10年か。

 

 私はもともとうたをやる気はさらさらなく、普通大学がちっとも面白くなくて中退しかかっているとき、ピアノの練習に謂わば引きこもってたわけだが、このままピアノ教えるのを仕事にしちゃえばいいかなあ、と。実際そのころついていたピアノの先生のめんどくさくて見たくない子どもの生徒を見てたりしたんだが、音大も出てないのにいいのかな?という気分に常になっていて、そんなの武蔵野音大出てますって云っておきなさい、といきなり詐称を勧められ、今ならそんなのどうでもないが、当時20で気が弱かったんで、音大に行こうと考えたわけです。

 

でもあくまでやりたいのはピアノだったので、ピアノ科は無理だから音教に、しかしそれにはうたが試験にあると聞いた時はやめようと思いました、コンコーネ1つとイタリア歌曲1つでいいんだから、といわれ、とりあえず声楽の先生についたわけです。

 

はーなんでこんなにできないのかしら?

 

などと毎回言われ、あんまりうたえないもんで日本のうたに変えられ(それはめちゃくちゃな指導だよー)それも「叱られて」のような難曲・・・(先月のグーでうたってみた。ああこういうのやっとうたえるようになったとうたっててしみじみしてしまった)

 

こん、と狐がなきゃせぬか?

 

というところが哀しいではないか

 

まあかなりこのリート専門の先生をてこずらせていたわけだが、まず私の積年のうたコンプレックスがなかなか声を自由にしなかったんですね、そこをどうにかすんのが教師の仕事、そこ追い討ちかけてどうする、うまい人だけうまくさせられるんなら教師はいらないんである

 

洗足の冬期講習に行ったとき知っている声楽の先生がいないので割り当てで当たった先生が「秦志郎」であった。ハタシロウと読みます

 

2回目のレッスンで「おめえ声楽にいけや」などと発言され、大学入ったら二度とうたうまい試験のとき以外はと思ってた私だし、それに入試一ヶ月前にそんなああた大胆な、でも今思えばあながち間違えでもなかったが。

 

しかしうた教える業とはピアノ弾く業なんである。平日私はだいたい10時間くらいピアノの伴奏弾きっぱなしな毎日であるが、やはりこうなってみると音楽教育科というのは悪くなかったかもしれない。声楽科よりはピアノの試験は厳しかったので。声楽で飯喰いたいならある程度ピアノが弾けるのは大事なことではないかな(例外:伴奏ピアニストが雇えるほどの先生)ちなみに前澤先生は私よりうまい。ピアノにてこずってないので人の音をくまなく聞いてる、へんなピアニストよりうたいやすい

 

秦志郎先生

 

北海道教育大に行っていて、将来は中学の先生でもと思ってた彼は、そこ忘れたが何かのきっかけで将来の奥様に一目ぼれ、彼女の両親のところにお嬢さんをくださいと頼みに行くと、うちの子は武蔵野音大(またそこかよ)に行ってピアノを習っております、そんな田舎のフツウ大なんか行ってる有象無象に娘はやれません!といわれ、それならその音楽の大学に行けたらくれるんですか?!いけるもんならいってみな、じゃあ行ってやる!というような流れで大学3年から声楽を習い、卒業と同時に藝大に入学、その後イタリアに国費留学して凱旋帰国、無事彼女をもらいましたとさ、

 

いい。動機が不純で

 

発声はYAで音階を昇るだけのものだし、指導といえば途中で「おら、頭割れ~!」とか叫んでるだけだし、体の使い方とか何も教えないばかりか腹式呼吸も教えない、

 

でも私は始めて声を出す面白さがわかったんですね。それは徹底して喉から放せという事だったと思う、

 

副科という事もあって、レッスンは毎度誰かの真似で何かをうたってくる私の誰の真似だかの当てっことか、先生の超絶でたらめ伴奏でどこまでうたえるか競争とかであったが、月曜の10時半にレッスンを取っていた1年間はまず3分の1は前日飲みすぎて先生はこられませんでした、コンコーネは先週と同じ曲でも気がつきはしないが、一年一曲で通した先輩もいました。ドイツ語は皆目わかっておらず、Dochをドッヒだと激しく言い張ったり(先生の前ではドッヒーとうたう)体の使い方を恐る恐る聞くと、そりゃホウツキ右足を一歩前だ、などと即答され、おかげで私は長い間右足を一歩前にしてうたっておりましたよ。

 

でもこの先生に出会わなければ私はいまうたをやっていなかったと思う、「うたうこと」を教えてくれた恩師である。うたうことはうたい方ではないのである。

 

先週末にお亡くなりになりました。不肖の弟子はレッスンがびっしりで葬式にいけなかったんだけど、ホウツキうたで働いておりますよ、お許しください。先生のCDなんかかけて感傷に浸ってしまいましたが、そうかマスケラの勘違い、その先民謡みたいになっちゃったのは体が使えてなかったから、奥が浅かったからなんだろうなあ。でも丁寧にうたわれておりました、

 

さようなら。ありがとうございました

人生なうたの会にぜひ皆さんお越しください

スパ・ラ・クーアにて

 

先ほどかなり長い文章を入れたというのに、勝手に消えたラクーア温泉のパソコンですが、こんなところで日記書いているのもどうなのよ?ではあります、小出しにします

 

土曜の「発表会の合わせ」1時から7時延長あり、も無事終わりました

 

インフォが遅れましたが、今年2回目の発表会です

 

「発表会2012-2」

 

7月16日海の日 6時40分開演9時半には終了したい予定
文京シビック小ホール
入場無料
当教室先着15名
客演 島川高正 杉崎竜二 中島裕子

 

 

土曜のあわせを見るだに

 

みんな趣味じゃないわ

 

「趣味」の反語が「仕事」だと思っているならちがうな

 

趣味の反語は「人生」だと思っている人々を集めた、あるいはそこに火をつけることを「宗教」というのかもしれない。

 

うわっつらなんかどうでもええわ、「ほんとう」だけが今すぐ聞きたい

 

どこまでもごまかしてやりおおせるものでもなく「人生」は。生きるとは「夕べに死すとも可なり」な何かを見つけることだ、と思っているダサい皆さん

 

私が先頭切ってダサさの見本をお見せしましょう、それができるかどうかです、「教祖」の資質は

 

しかし「そこ」をアンタッチャブルにしておくと永遠に人生は始まらない

 

始まらないなら終わりもしないんである

 

また込み入ったことを書くと警告が出るパソコンなので暫し。

 

ふん、「本質」を語らせないんだな。

原発再稼動

なにか核心をいうと、さっと 避けるのはこのパソコンだけじゃありませんが、そういうことしているといつまでも「周辺事情」で生きるしかなく、それは「無駄な逃避な消費」を生みます(ラクーア温泉など筆頭ですが)

 

 逃避な消費こそが原発再稼動の道であり、あっという間に(生徒と3年と見込んでたが1年だった、凄)原発再稼動に拍手、爆発する事を前提としたら全く「安い電力」ではないので、まして地元の人が原発に「只今」依存していても爆発すれば難民になってしまうわけです

 

「安全は確認された」というところで死亡フラグ、「ダメでも何でもやっちまえー」といえばよかったのに

 

ま、ワシの生きてるうちは大丈夫じゃろう(何も根拠は無いが)ワシが死ねば別にみんなが困ってもどうでもええわ、

 

ということです、翻訳すれば

 

でも確かにそうです

 

自分とせいぜい家族くらいなんとも無ければいいという、

 

け、1000年後とか考えて何か決めてくれよ、われわれ「小市民」が自分と家族の頭のはえくらいしか追えないんだとすればさ、せめて選挙で選ばれるほどの選良な皆様はさ。

 

 

今回のいろいろで一つ分った事は

 

学者、ってバカ

 

でした。

 

いろんな説があり、全てのジャンルで、

 

放射能なんか飛ばないといって爆発翌日テレビでフクシマのほうれん草食べてたあなた、お元気でしょうか?一方、窓はきっちり閉め外出せず、床掃除を徹底しろ、と言っていたあなた、いまでもガイガーカウンター片手に床そうじ続行ですか?

 

学説がいろいろ、が「都合いい学説採用」、あるいは「結局誰もなんにも当てられないからわからん、気にしたらきりが無い」という庶民の方針に加担

 

思えば発声のようなものでもいろいろな派閥があり、ピアノにもあり、フルートにもあるようで、「その発声」って、その先生にしか「出来ない」し上手くならない、という現象はよくあることですが、まさか「科学」な事柄はそういう恣意的なことになってないと思っていたんでは無いでしょうか私達

 

ヒトなんて所詮ドグマの塊なんだから、そういうものを排除して「科学的」に処せるやり方がある、と思ったことが所詮誤りだったのか、と私は思いますね

 

「人間だもの」  相田みつを

 

それなら恣意的な科学的じゃない方針を決めるべきで、それを「思想」といっていいと思うが(社会科学とかざんざん考えてきた私は悲しいがさ)

 

もう限定50年くらい大丈夫なら結果オーライ欲望続行本質に目をつぶり本質唱えるやつは弾圧路線な「思想」でいくんですか。

雑記

今日は久しぶりに休みである
印鑑証明をもらいに行くほかは何もないんである

 

ラ・クーア温泉でも行くか、箱根でも行くか迷っているんだが、天気悪いしラクーアかな。

 

昨日は文京区民100円デイだったので、銭湯は大変混んでいたが(また銭湯ネタかよ)ラクーアは若いねえちゃんが多いが銭湯ともなると70から80の後期末期高齢者しかいない。すこし若い世代を育てないと銭湯は成り立たなくなっていくんじゃないかと心配である。

 

ばあさん達が湯に使ってるさまはすでに性差を越えているが、なにか猿山温泉のようでもあり、人間も越えてるというか、こうして人は天に召され土に還っていくんだなあ・・・

 

がしかし、先日脱衣所で涼んでいたらテレビに松田聖子が出たとたん、そこにいた約4名のばあさんはいっせいに色めきたち、この女ほしいものは何でも取るんだよ!などとかなりひどく罵りだし、しかしアメリカで整形したとか結構な最新ネタを披露。興味津々のようであった

 

嫉妬は根深いな、もうすでにヒトからも乖離しそうな勢いなのに、そんなに女。

 

自分が(かつて)女だったからわかるんだが、女は男よりよほど道徳心は薄いと思う、そして貪欲である。誰だって3回くらい結婚したいし、100回くらい恋愛したいし、と思ってるんではないでしょうか?貞操とかまじめとかは口実で。

 

最近は「めんどくさい」という言い訳がありますね

 

たしかに今更恋愛を立ち上げるのはめんどくさい。印鑑証明を取りに行くくらいめんどくさい

 

容 姿に気を使わなくてはならないし、でれでれスナック菓子で飲酒しながら水戸黄門を見たりするのが至福な私は、その後風呂屋に行ってディープな飲み屋に行く に、いくらおばさんでも一人で行くのは憚られるわけで、そこにししろーみたいな阿呆がいると一応馬鹿話もバカだから聞いてくれるし、すっぴんでも良いに決 まってるし都合がいいんである。そりゃむこうにしたってちゃんねーと飲めば金がかかるし、おばはんはおごってくれるしな。こうして「めんどくさくない関 係」は続くんである。続く関係なんかどれもこれもこんな事情からではないでしょうか?
・・・・・・・・・・・・

 

いけないいけない、また下品なネタを展開していますが、音楽のことを書くんでしたね。ヴェルディのエルナーニは難しいな、ドラマティーコ ダジリタな声が必要とされますね、でもやってて勉強になるし面白いです。

 

とたんに小学生の感想文のようになりますね、音楽に興味はないんですか?

 

そんなわけじゃないんですが、私の日常は朝から夜まで銭湯行ってる時間飲酒の時間以外は音楽の事やってるので、コロッケ屋が休日にコロッケを食べないのと同じです

 

でも優秀なコロッケ屋は休日も他店のコロッケを試食して研究したりするんではないですか?

 

優 秀ではないので当店はやっておりません、昔ながらの味で勝負です、しかしこのあたりに総菜屋はあまりないから仕方なく買う近所のコロッケ屋のじゃがいもは 水っぽいと思う。じゃがいもの種類をメークイーンなどに変えるべき、研究されたし、セブンイレブンのコロッケのほうがうまいです。でもコンビニの「研究さ れ」コストパフォーマンスの良い商品はなぜか飽きてしまう。隙がないからですね。サラリーマンが机上で作った代物です、手作り感、などというものすら「コ ロッケ戦略会議」で提案されていそうですが、「手作り」とはムラと思い込みとあやふやな伝承と惰性の総称です、そんなものラインに組み込まれうるはずもあ りません。でもやはり人はそのムラを食べたいと思っている、なんでかな、人はアット・ランダムが好きです。人の成り立ちからして無造作ですからね。多少 水っぽいうたでもいいうたうたっていきたいです

 

水っぽくないうたにしたらどうでしょう

 

努力は実はしているんですね、恥ず かしいから云わないだけです。こんな努力してんのにこんなかよ、といわれるのは嫌じゃないですか。でも私は本当にガチンコ努力の人です。要領がむちゃく ちゃ悪いんです、ただし私はなんに関しても「出来ない」をまず云いません。出来ないことは多いですが。

 

出来ない事を出来ると云うのは詭弁ではないでしょうか?

 

そうです。甘い見込みです。その一点で私は楽しく暮らしてるといえるかなあ?みんな「出来る」を慎重に考えすぎです、出来ると思えば何でも出来ます

 

でも先日、発表会で生徒のやっているノルマの相手方のアダルジーザは出来なそうなのであっさり引っ込めましたね

 

いや、あれはもう少しやればできたかなあ?生徒に丁寧に断られてしまったんですよ。長い目で育ててほしかったなあ

 

それは生徒のセリフでしょ

 

私 は合唱なんかで真ん中や下のパートうたえません。今やってる警視庁依頼の老人万引きオペラのたけの役はおかみの役と多少ハモリますが、そこは特訓です。た けのアリア「一人暮らしの孤独年金暮らしの心配」は恥ずかしくて家人がいない時しかさらえないのでなかなか練習が進みません。イタリア語にしてほしいなあ

 

ハモれないのは問題ですね。合唱とか教えてるのに。

 

人の声聞いてないのかもしれませんね。でも教えてる側は歌わないのでばれないですよ

 

ばらしてますが

 

マミーなんかで声部分けるときはたいていもめます。みんなソプラノですから。前めちゃくちゃ別れる新作をやったときは悲惨でした、以降その作曲者はマミーのハモリを最小限にしているように思われるのは気のせいでしょうか?

 

懲りたんじゃないですか、それに先生も参加してたんですか?

 

下から2つ目のパートのカエルの役でした。

 

それが原因かもしれませんね。

 

・・・・・・・・・・・・
さてすこし音楽のことも書いたし、小池整体行って印鑑証明をもらいに行かねばその後ラクーアで書けたら続きを書きます 

 

新しい朝が来た、希望の朝~というラジオ体操のうたが空しい曇天の月曜、お勤めご苦労様です

雑記2

スパ・ラ・クーアにて

 

今日は午後発声のユーチューブなんか見ふけってしまった、で、ごめん遠い親戚、なにか私の印鑑とその印鑑証明書類がないと君のマンションは売れないんでしたよね?来週月曜行きます。速達で送るので

 

でもつまり発声は

 

自分で分るしかないんだな、教えていて悪いけど

 

たくさんの人を教えていて思うのは、ベルカントなんか以前の話で、みんな声を出さない生活をしているようで、オペラの発声なんか学ぶ前に道の真ん中で愛を叫んだり(また「愛」は7番目に出る)カトチャンぺっ、のまねしたり、さかなくんのまねしたり子音だけ言う遊びをしたり

 

声で遊びましょう。声を出しましょう、うたじゃなくていいので。

 

あるいは思ってることはすぐ言いましょう。

 

声を殺して、というのはぴったりだな、今まで殺してた分ベルカントでうたおうというのは賛成だが、声を殺す事は緩慢な自死だと思うので、もっと職場のみなさん学校のみなさん「声のラジオ体操第一」のようなものを作るといいのではないか?

 

専門家がうるさい事いうから、なにか専門家について「正しい発声」でも学ばないとうたってはいけないと思っている人は多いようなんだが、

 

あなたがあなたの思ってることを伝えようとするやりかたに過ぎない発声をなにか特別な「方法」でもあるかのように吹聴するのは良くない

 

た だ、前の前に書いたけど、クラシックであるという事(マイクが無い時代、お客が特権階級から庶民に移った頃の、つまり劇場が大きくなりそれなりの音量必要 な上に段々肥大化するオケより超えて届かねばならないなど諸条件のもと出すうたい方のはサーカス芸のような技術があります、鍛錬も、もちろんモーツァルト とプッチーニじゃ違う、つまり雇用主の変遷で相手にするキャパが変わったのよ、うたい方すらマルクスの言うように経済構造である。でも何故貴族階級から民 衆階級に冨が移行したか、とか小学校5年くらいの知識しかないので分らないけど。)

 

そして世の中は大多数の働かない自称「弱者」(年金生活者等)のものになりつつあるんだから、うたい方もまた変わるでしょうよ

 

小 さな声で「ふるさと」をうたったり(ベルカント的スクイッロな声は弱者には厳しい)第9を5度下げて演奏したり、1時間もかかるのは腰に負担だからいいと こだけの25分くらいにするとか(1楽章2楽章はほぼ5分に短縮だな3楽章は個人的には10分くらいはほしい、バリトンのソロからいきなり合唱フロイデ シェーネルゲッテルフンケンに飛んで、フーガ少しあって大団円で25分)

 

・・・・・・・
7時半

 

娘は音大のフルートの仲間とカラオケ
息子は学校の図書館で9時まで勉強、帰りみんなで猥談しながら帰ってくるというが、そういう日々こそ青春なんだぜ、何かを目指せ、難しいことに挑戦して欲しい、挫折を恐がってはいけない、効率なんか考えるな、

 

やり方じゃない、やることだ!

 

 

さてアジッてる場合じゃない
もうそろそろ帰ってご飯作らねばなあ

 

夕方になると施設に入っているボケた老人たちが家に帰らねばといって騒ぐといいます

 

赤ちゃんも夕方泣きます。夕時コリックといいます

 

夕方のお母さん(引用に自信ない大意)

 

かなかなぜみが遠くでないた
ひよこのかあさんあちこちむいて
ひよこをよんでる
ごはんだよ

 

やっぱりおなじだおなじだな

 

サトウハチロー

 

昼間威勢良くてもえばっていても夕方はおかあさんのところに帰る時間、おかあさんはみんなの背負っているものを払い、リセットしてやる巫女のような役目があります、それは本当に大事なおかあさんの仕事なんですね

 

いえ(ホーム)にかえって一点もらいまた明日塁に出る。

 

セーフ、を言いに、
帰ります。

ちゃんとした発声

うっす!

 

土曜グーのライブも満員御礼で終了。
ちょっと始めの何曲かはうまくいかなかったが、その先はなかなかな出来ではなかったかな?

 

日本歌曲のそれも「さより」のようなポジションはアンザッツ1だけ、な曲は「後ろがあるからうたえないしー」などとちょっとしたウソをついていた私だが、最近いろいろわかってきたので、「理性」なんとか御せるスタートラインに立った感じです。

 

べつに「さより」をうたうことに特に魅力もないわけだが、「うたえない」のはまずいではないか。

 

た しかにこうなるとリサイタルの一つもやりたくなるなあ。今年は息子の大学受験だし、などとめずらしく「主婦」のような発言だが、でも実際オサンドンをする のは私なんだし、息子の学校の保護者会などいくと、セミロングの髪(染めてない)をうしろでバレッタで止め、小さなハンドバックとB4くらいのサブバッ ク、ボックススカートは膝丈、フェミニンなブラウスにナチュラルストッキング、黒のパンプスな思想が家庭に蔓延してないと「ちゃんとした」子どもは育たん のか!

 

育たんのだろうなあ。

 

うちの内情などを息子はよく自慢げに学校で語って「ドン引き」されているようだが、

 

ここではうちがドキュンなのか?

 

300人中中高で6年皆勤が100名超出る学校だが、インフルエンザ以外で息子の休んだ2日はどちらも「家庭の事情」だし・・。

 

でもみんなそんな「ちゃんとしていて」ココロは大丈なのか?

 

形式なんかどうせ「ココロ」が抜けてるわけだが、そこに「違和感」が発生するわけだけど、扱うのが怖いのか、鈍感で気がつかないのか、窒息させてしまったのか

 

コ コロが違和感、について追求していけば連合赤軍やオウムになるんだろうが、あるいはもうそういう集団桃源郷ツアーみたいなものにすら興味もなければ集団生 活が具体的に出来ない(朝起きられない、好き嫌いが多い、正座できない、不潔恐怖など)となれば個人で「病気」にでも逃げるしかなく、あるいは「まじめ」 に逃げて「ふつうしないよね~」を毎日唱えて「ふつう」にしてるか、いやそんなことになるくらいなら当教室に来ましょう

 

そんなことなんですか?おはようございます、ここからこのブログは突如対談形式になります、「受け」のほう担当の乙です。

 

初めてインターネットからこのホームページに入ってきた人に向けてもう少し教室の宣伝やら音楽のことをブログにも書いてくださいと新しく契約するネット会社の人に云われたものですから、

 

銭湯ねたが多すぎます

 

い や、うたの練習より良くやっていることの一つが銭湯と飲酒なもので、いわゆる「声楽」なイメージではないでしょうが、自分で言うのもなんですが銭湯ばっか り行ってる割にはうまい声楽家だ、という観点から評価してほしいです、ココロのまんまやるとこんな感じになるんですよ、クラシックというのはある「ライ ン」にはいらないと個性もへったくれもないことくらい知ってますが、しかし「標準」などというものは実はあってないので、最終的には「自分」しかないんで すよ

 

わかりにくいこと至極です、うっかりはちべえのような役をしますが、これもネット対策の一環です、するってえと御隠居はうたはだれがどううたっても「個性」なんでいいと?

 

そうです、究極は。「そのひとのうた」をうたうしかない

 

でもことクラシックの場合、マイクが使えない、大きな会場でうたう、などの条件があるわけだから制約はあるでしょう、クラシックはきわめて没個性的なうたい方のように思われます。マリアカラス以外のソプラノの歌唱はどれもこれも同じに聞こえます

 

そ れはそうですね。クラシック音楽の修行とはある「やり方」を学びそれを使って既存の作品を一つの間違えもなくやるところで初めて一段階が踏めるって程のも のです。でもそんなにがんじがらめでもどうしても滲出してしまう「その人」について考えているんですが、技術を鍛えるという非人間的な努力とココロの問題 をどうするかが私の格闘ポイントではあります、いやそれはすべてのココロが葬れない人々の苦悩ではあろうと思います。適当にやるというような解決策ではな く、宗教や病気や趣味に逃げるという解決策ではなく、ココロと形式を調和させるのは難しい、「ちゃんとした発声を獲得してからうたいたい」などと云ってる と一生うたえない。そもそもちゃんとした発声なんて「幻想」です

 

そんな事云ってると「お客さん」が減りますよ

 

「ちゃんとした発声」なんかないんです。ちゃんとした人生もちゃんとした結婚もないのと同じです。でもこれは定款のように虫眼鏡で見ても読めないようなフォントで書くことだな。

 

大々的に云ってます

 

一緒に暮らしたいとか何か面白いことをして人の役に立ったりしたいとか、良いうたをうたって感動を呼びたい、というところに常に立たないと、だから結婚、だから会社、だから発声、というのは果ての便宜にすぎません。

 

そこで教室の「意義」が出てくるわけですね、良かった。

 

「発声」なんか詭弁ですよ。もう「やっちゃった人」は「学ばない」ですから。学ぶというのはもうその時点ですでに違う、本物に近づくことを「本物」はしない。学ぶは永遠の漸近です。

 

それは約款に小さく書いてくださいよ。でも教室の皆さんは確実にうまくなっているので「発声指導」が功を奏しているんでは?

 

ネットの人が言うように「差別化」をするとしたらこの教室(私は)は発声を通して常にココロを問題にしています、それ以外にうまくなる道なんかなかろうとも思ってます

 

宗教くさいですね

 

で あるからむしろそういう言説は避けるように努力もしてます。ついチャクラとか云っちゃいそうですから。横隔膜の下げ止まりと云ってます。でも実際は前頭洞 等鼻空共鳴を使って音を出してください、というより、自分の「気」に乗せて音を一千人に届けてください、といった言い方のほうが良くなることは多いです が。

 

・・・・・・・・・・・
ココロの違和感、喰うや喰わずの時には決して聞こえない声ではあるがさ、
それによく耳を傾けてほしいです。それを「うた」というツールで考えていこうという教室です。

文京区の宝槻美代子音楽教室の講師によるアットホームなブログをご覧ください

文京区で人気の声楽教室・ピアノ教室、合唱教室を運営する当教室のブログでは、丁寧できめ細やかな指導で信頼ある講師が日常のエピソードや、音楽にまつわるお話を楽しく語っております。講師の素顔も垣間見ることができるブログとなっておりますので、受講生の皆様をはじめ、ご入会をご検討の方もぜひご覧ください。
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