金曜の浅草公会堂。台東区の小学校のみなさんは、オケなども持っている優秀な音楽熱心区で、こうやってマミーシンガーズであちこち行くと、こと小学生の音楽教育に関してのみの意見だが、決して平等という事にはなっておらず、それが予算の問題ではなく「できる」校長先生がいるか、とか「やる気」の音楽の先生がいるかなどという関係で「活性化」は決まるようす。
そうすると最後の一緒にうたおうのうた「あいさつは魔法の力」などもえらく上手なのであった。私はここでかなりぐっときてしまった。ひたすら舞台に立って目を開いてるだけで、ひとつもうたえないのである。こっちが感動してどうする、であるが。音楽なんか主要教科じゃないし、どうでもできる部分だが、ここ熱心な学校ってだいたい全体の様子が良い。
マミーは人気で6の公演にたいして200も応募が来る、選りすぐりな学校に行くことになっているので、たまにはやる気の無い学校とかにも行ってみたい。
今までで一番やる気の感じられない学校は我が子どもらが通ってた近所の小学校だが、校歌を弾けない先生というのが毎度赴任してくるのは恐れ入った。だからうたの指導がいいわけでもなく、でもこの辺は進学熱も高く、音楽なんかどうでもいい教科だし、それならそれで音楽なんかやめて「算数」に振り替えすればいいようなものだが、別に算数教育が特段いいわけでもなく、息子は「学校で習ってない解き方」で回答を出すたびにこっぴどく怒られてたが(それ知っててわざとやってた、嫌らしいガキだな)
こういうのも「公務員問題」だと思ってる。確かに公立小学校の「成果」ってわかりにくいし、でもたとえば音楽教育にちょっと熱心な先生なんか一人いると変わるよね。そうやって子供たちが生き生きうたえたり、算数の解き方を工夫してみたり、生きる力を引き出すってことじゃない、成果ってそこしか無いはずだよね。教えてる相手の表情一つで教えてる側が「よーし!さらにやるぞー」って思えないなら教育現場から去ってほしい。教育者のご褒美なんか「それだけ」だから。
西新井アリオの本番。日曜
いやあ、そうですよ、うたなんかうたったことない人大半で譜も読めないと公言する人大半なこのクラスのこの本番を聞いてほしいよ。人にはうたう権利がある、声は絶対でる誰でも、と私は信じているが。
2時間、打ち上げまでに時間があったので、散歩要員のししろー呼び出して「五反野」散歩、ほんと思いつきで歩いていたら マミーで初期の頃行ったことのある小学校に行き着いた。それはそれは熱心な音楽の先生はマミー版「フィガロの結婚」の為に1年かけて子供たちにフィガロの結婚を教えてくれていた(良かったのか?その演目で・・ではあるが。「カルメン」よりは良かろうか)
コンクリート殺人事件という凄惨な事件のあったこの地で、教育委員会あげての「テコ入れ」があったのかと私は思っている。学校の塀に張り巡らされていた「正しいよい子の標語」がそれを物語っているが、それが当時のままなのかかなりあせていた。
子供の数も減っただろうね。全部忘れたい、と願うことすら終わったという「最果て」
その10年近く前のマミーの公演時に、ここで高校の同級生に声をかけられたのを思い出した。
「ほうつきちゃん」と言う呼び名は かのバカ高校での私の呼ばれ方だったので、一瞬ドキッとしたが(そのバカ高校名を知られたくなかったので。今は平気だけど)
彼女はこの小学校に子供2人通わせ、近くに一戸建てを買い(年賀状にその一戸建ての前で4人で写ってた)PTA役員をやっている様子だった。そう、彼女は高校で生徒会長だったよな。家の事情だったか頭の事情だったかで高校出てすぐ東京電力に入ったんだった。そこのところ少し相談されたのを思い出した。大学に行きたかったのかも知れない。東京電力なんか大学入ったら絶対入れないから良かったんだよ!と私は言ったと思った。
ここも良いクラスだった。不規則発言の多い私に皆は寛容で、「大学を受ける私」の為によけいな仕事はしなくて良いと言ってくれ、印刷屋の娘は大量の紙を単語練習用に裁断して渡してくれたりした。
ししろーと五反野駅前のマックに入り時間調整。
人生は一回しかないんだよね、
あんたって私に一戸建てどころか服一枚買ってくれないだんなだったがね、
でも一戸建てなんか買ったら寂しいでしょ?
そうかも知れない、と少し思う。家族である「一過性」が少しでも確からしい「固定」を持とうとすることが悲しい。その前で晴天の日に少しよそ行きな服と顔で写真に収まった、その後みんな大きくなっただろうね。「そこ」は正月だけ集まる場になっているか?いやこの雇用の厳しい昨今「みんなまだそこにいる」のかも知れない。
家のローンがやっと5年分終わった若いお父さんが、残業そこそこに娘の誕生日に帰って来てケーキを家族3人で食べるという悲しいCMを私も息子も「よく理解」するが、ししろーは説明しても「わからない」のである。天才バカボンである。
多摩川が氾濫して多くの岸辺の家が流されたときに、多くの家族がとっさに
持ち出したのはお金でも通帳でもなく「アルバム」だったというね
永遠に漂流していたい、とわたしは52になっても思っている。何も「所有」したくない、と思っている。人はどこから来てどこへ行くのか身をもって確かめたいと思っているだけなんだと思う。つまりは私もバカボンなんだね。同じ穴のバカボン。
そして「所有」は「事実」ではない。意識である。