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「はじまり」

ソチ冬季五輪

選手の地元体育館で応援・・金メダル取っても震災で家が倒壊したのを乗り越えて、などというキャプションつくのね。

 背景好き。サムラコウチを生む土壌。大衆の好きな「障害」を乗り越えてだけど、親が小菅とかお父さんが小指欠損とかそこまではダメなので、障害ったって「みんなの認める障害」まで。

本当に誰にも言えない「障害」はやっぱり誰にも言えない。大衆は眉ひそめるの早いよ。奴らはいつでも「無罪」だからね。
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「現代家族の誕生ー幻想系家族論の死」 岩村暢子 勁草出版

 先日書いた「変わる家族 変わる食卓」の続編だが、東大生協にすら売っていないので勁草出版まで買いに行ってしまいました。文京区水道にある。生徒によると、かつて吉本隆明全集を出してたところらしい。どんな時代になろうが、こういう良心的な出版社がある限り日本は行ける。とても儲かっているようには見えないです。

私から金メダルを差し上げたい、いらないだろうが。

タイトル「親の顔がみたい、って言われてもね」(上記著作要約byホウツキ)

 そう、毎日忙しいんですよ、女学校時代の友達と旅行、趣味のコーラス。陶芸はちょっと腰痛がヒドくなってやめたんですが、ほかにも町内でバス旅行、そうそう、娘が近くに住んでいましてね、孫(5才女児)連れてしょっちゅう来るもんだから、結構夕飯作ってやってますよ。だんなさん遅いから家で食べて終わりにしてるみたいだから、揚げ物とかいろいろもたせてやるの。あの子揚げ物しないからね。
 若い頃私はBGやってましたね。古いわね、OLですね。そのころからうたうのは結構好きで、会社のコーラスも入っていたし、わたし、うた好きなんですよ昔っから。もし良い家に生まれてたら音大で声楽なんか習ってたかもしれないな、なんて思うことありますよ。当時歌声運動なんかありましたね、そこで知り合った主人は次男で、当時流行の家付きカー付きババ抜きのはじめね。思えばすごく楽しい時代だった。子どもの頃がヒドすぎたのよ、戦争ありましたからね。食うや食わずで。そこからのスタートだから今の人たちより一個一個のことに喜びがありましたね。洗濯機が家に来た日とか忘れませんよ。電子レンジ!!夢の様でした。チンしたら夕飯出来ちゃうんですよ。
 正直言って私は料理はあんまり出来ないの。私の母は明治の人でいっつもお勝手にいましたね。芋の煮物ばかり、あんまり手本にならないから、BG時代にお料理サークルなんか入っていましたね。そこで習ったものは本格的すぎて役に立たなかったわね。私三女だから姉達はお勝手もずいぶん手伝ってたみたいだけど、私はそれほど手伝いもしてないのね。今でも姉に会うとなんかかわいそうだなあ、と。家の手伝いさんざんさせられた挙げ句に見合い結婚で、一回も外で働いていないのね。そんなのが当たり前だった時代からほんの何年かで世の中変わったからね。戦争越えて男女平等ってことでね。そう、教科書に墨塗りした世代ですよ私は。外で働いたっていったってほんの3年だけど、結局外で働くようになれば家を手伝えとは言われないし、自由な時間は出来るし自分の小遣いもできるしね。私は得でした。
 自分の娘にも何にもさせてないわね、家のことは。短大までコーラスの部活で忙しかったし(この子もうた好きで「声楽」なんて言ってたこともあるのね、ヤマハにはずっと行かせました。でも音大なんか学費がむりむり、それにそんなとこ出たからって仕事ないじゃないですか、よほどの天才じゃなきゃ)それでお勤めして、だから料理なんか教える間が無かったので、私は戦後のいろいろで、とにかくきちんと「教育」ってものを受けていないのね、だから娘には家事やるよりきちんと何かやってもらいたい、というのはありましたね。英語が好きだって言うので、将来は翻訳家になりたいって言って英文科にしたんですよ。今は子どももいるし、専業主婦ですけどね、きっと子育て終わったら特技を生かした仕事なんか出来るかもしれないでしょ、そこは私なんかとは違いますよね。私は主婦だけで、なんかやり残したような気持ちはあるんでね、だから今いろいろやっているの。このままじゃ死ねませんよ。
 そんなわけで娘はご飯の炊き方一つ教えませんでしたけどね、親の背中見てますからね、なんかかんか適当に作って食べさせてるみたいですよ。孫の誕生会なんかに呼ばれますけど、ケーキなんかも手作り。揚げ物は作れないから私が作って持って行くんですけどね。後はお寿司ね。それは取るんですがね、お金はうちで出してやりますよもちろん。お婿さんはまだそれほど取れませんからね。娘も子ども大きくなるまで働かないですから。かわいそうですよ3才前に保育園なんか行くのは。
 そうそう、孫にクラビノーバっていうのを買ってやりましたよ。結構お高いのね。仕方ないですね「芸術」ですから。娘はヤマハに行ってたからエレクトーンは弾けるので教えてやってるみたい。なんか音感が良いみたい。大きな声でうたうしね。今度こそ音大なんか行かせてやっても良いかしら。今からじじばばで貯金しないとね(笑)

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 親が娘に何も教えてこなかった世代は自分も実はあまり料理などをしてこなかった世代で、それはぴったり私の母であり私である。

家ではその初期にかつおぶしはきちんと鰹節削りでおろしていたが、どこからかハイミーになりほんだしかつおになった。

 楽で便利がいい、という思想に対抗できるのは「伝統」だけである
伝統を捨てた母と故に規範を失った娘・・

著者はそれを「1960年の臨海」と呼ぶ(私1961年生まれ)

価値観ががらがら変わる時代に思春期に過ごした母の世代はもう何かを学んだり伝承したりするより臨機応変に「最新情報」を取り入れ、古い物を捨てるに躊躇がない。案外な「新しさ」に驚くことが多い。人生は情報だと思っている。

人生は情報だと思っているということを訂正するには「伝統」の力を待つしかないが、それが分断された希有な時代を母世代は生き、また何も教えられない私世代はそれでもまた子どもなんか作り(誰でも朝食は作れなくても子どもは作れるんだな)

「こんな親子の登場は、従来あったはずの親子の伝えを無用化しただけではなく、「親子」「家庭」「家族」とは本来何であったかさえ不確かなものにしてしまったのではないかと思われる」(上記著作引用)

そこで、そんなところからそれでも何かを始めるとして・・・

規範を持たない私たち世代は「もう一度考え直してきちんとやる」か「そのまんまにする」選択肢に常に立たされていると思われる。

そこで大事になるのはどっちが良いか判断出来る、ということなんだろうね、それも「素手で」ですよ。

「うそもんと本物の区別」を常に自分のセンスで考えなくてはならない。

ほんだし鰹とだしをきちんとひいた味噌汁の違いをわかること、着色料と本物の色素の違いを解ること、絹と化繊の違いを解ること、クラビノーヴァとピアノの音色の違いを解ること、などなど、気の遠くなるような「選別作業」を「センス」一本さらしに巻いてやる、やらない、の選択すら「自由」

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 小学校4年から来ていて(親に言われて嫌々だったかもしれないが)今春大学生になるピアノの生徒が、やっとピアノに買い直してくれるというので(親が)私はうれしい。「やっぱピアノで弾くと違いますよねー」という感想が満期になって、どっちだって同じだ、という親の思いこみを訂正できたことに。

 規範を失った私たちに育てられたその先に、何かを見つけようとしてそれでも生きていこうという「若者」のうたを今合唱のテキストにしているが、それが本当によくわかるようになってきた。詩って偉大。

「何もないあそこから
 確かに何かが始まっているようだ」(工藤直子「はじまり」)

 これやっているといつも思う。意図のない街の(志村坂上とかさ、板橋本町とかさ、意味なく三田線だけど)すき家とファミマとの間を抜けてマツモトキヨシのでっかいのの裏に立つ8階立てのマンションの窓から見える荒涼としたという表現すら当たらないような無機質(でもない、近くのロードサイドのスシローの看板は回っているし)な風景の先にそれでも「その子ども18才」(受験生、でも今の成績でいけるところで推薦で行くつもりだから別にーであるが。妹15はプチ不良、でもオレよりはマシだと思う。毎日「生きてる」から)は

それでも「地平線を見つめ」なくてはならない。

 この曲すごくいいです。ぜひ18、19、20くらいのお子さんの「教育」でお困りのお母様(1960年代生まれでしょうか?)ご一緒にうたいませんか?お子さんのココロが解るかも。

コールドルチェ文京 毎火曜日 10時から12時
指導 ホウツキ、ピアニスト 山形リサ 

詩読んでも多分「そういう風には」わからない。うたわないと

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