宝槻美代子オフィシャルブログ

おれおれ詐欺

おれおれ、ってそれはオレオレ詐欺かおにいちゃんだ。
。。。。。。。。
おにいちゃんだった。
今日息子が「情熱大陸」というテレビに出るから見るようにというお達しだが、それは生徒から聞いていて知ってるので、録画もするけど、それよりぼん天堂大学病院に107万差額で取られた、と訴えたら

「お兄ちゃんが上の人に言ってやるから」

といった。
そんなこと出来ないのももちろん知ってて、私はこのよれよれな兄の声が、あるいは間の取り方が、あるいは思考の順番が
。。。。
父に酷似しているので、電話を切ってしばらく不意に涙が止まらない。
。。。。。
こんな時間(昼。でも人は働いてるだろう時間)に電話よこすこと自体父であった。
、、、、、
私は小学校1年生から、音楽の授業は毎度オルガンを弾く係であった。
足立区って。
で、そのオルガンはペタルを踏むとスネの部分が当たって痛いのであった。
それをいうと父は翌日にはなにか保護テープのようなものを持って、当たる部分を直しに来てくれた。
、、、、、
なんかいちいち過剰なんである。
こんな歳になっても、いつも誰かが保護テープの持って駆けつけてくれないか、と思っている節はある。
もう自分が駆けつける立場な上にそれもそろそろお役御免だというのに。
、、、、、、、、
オレオレ詐欺、どうして「オレ」なのよ、それは息子が「アホ」だからですわ。
かあさんは息子のアホが気がかりです。ずっとです。息子の邪魔にならないようにあんまり電話なんかしないようにしてるけど、でも毎日心配。
娘は幼稚園のうちから「しっかり」してるもんです。わたしわたし詐欺とかないんですね。お母さんは「わたしお金がないんでなんとかならない?」といわれても「自分でなんとかしーや」と言えます。同性の見立ては厳しい。
。。。。。。
いつも宿題出し忘れる息子、忘れ物する息子、
いつまでも脱いだ靴下洗濯機に入れない息子、弁当箱出し忘れる息子、その延長線上に、会社の金網棚に忘れて来たり、友達に騙されて金貸しちゃったり、いろいろありそうだなあ、とかあさんは考えながら暮らしてます。いつもいつも「あなた」のことが心配です。
、、、、、
笑いたければ笑えばいいよ、それで金だまし取って何買うんだね?ぼうや、その金で買ったお菓子は美味しいね?
。。。。。
ボン天堂入ったら「お金がない」の一点張りじゃなきゃダメなのよ!と近所のおばさんに教えられ、見えはったりしちゃダメなのといわれました。そうか、それはオレオレ詐欺のようなものだったわけですね。
。。。。。
うつのみや、餃子、っていう合言葉はどうだろう?
そんなの普通に言えるでしょう
。。。。。。

「商売」とは「だまし」か「おどし」しかない、とわたしは高校生の頃に喝破してましたが、医者は「おどし」の方だし、声楽教室は「だまし」ですかね。
いつまでも言っててしつこいですが、
107万の差額ベットというのはもちろん「だまし」ですが、それが「おどし」になっったらいけない。そこは相入れないものなのです。
。。。。。。。
かあさん業は終わらない。心にいつでも「オレ」がいることを。それは「弱み」だが、
。。。。。
つまり「オレオレ詐欺」それはあまりに文学的で「だまし」なんだか「おどし」なんだかよくわからない。元暴力団幹部がテレビで言ってたが、いまは組織のそとでやるものが増えて「秩序」が崩れている、仕事が粗い、昔はそんなことはなかった、というんですね。そう。「だまし」から「おどし」に変わっているんでしょう。終焉なのかな。
・・・・・
ばかにするなよ、母は強し。

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イタリア2回目マスタークラス終了

帰りの長ーいターキッシュエアーの中で思った。
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ああ、わたしはうたで生きていけるかもしれない
うたをうたっていく端緒についたかもしれない
飛行機落ちないでくれ給え、5日間習ってきたルチア先生の教えをどうか日本で少しでも教えられるようになりますように。
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飛行機は落ちなかったので、そして働き者の私は翌日からレッスンドルマな日々であるが、
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ルチア・リッツィ先生
スカラをはじめ国内外で活躍し、コンセルヴァトーリオで教鞭を取っている、という経歴などどうでもいいのだが、もうその声を聞いたら「絶対正しい」と思うのですよ。
思えばいろんな先生についてきた私であるが、その先生方の声になりたいかといえば、出来たらなりたくないのであった。
それは変な話だが、なんか行きがかり上(音大受けるとか二期会入るとか政治的な意味とか)でいろんな先生についたわけだが、申し訳ない誰一人「惚れた声」はなく、むしろ自分の声の方がはるかに「好き」だし、いや、今までで一人だけ本当に惚れた、嫉妬した声があった
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横地康子
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二期会の友達である。
これだけいろいろな声楽の友達やら先生やら知っている私が心から惚れた声はこの人だけであった
好きと嫉妬のはざまで恋愛感情ではないかというような倒錯した気持ちすら持ったねー。
死んじゃったけど。
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この世は修行の場なのだと思う。
なにか突出した人は早くに修行の場から引き揚げてもらえるのかもしれず、才能のないものばかりが長生きするようで申し訳ないが、才能のないのを生かして私はせいぜい長生きでもして「本当の声」の戦いを戦い抜く、よ。
あるいは才能のある者こそ強くなければならないね。自分の才能を守るために。
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才能のないものに出来ることは、年1の検診も行き、出来る限り自分のなけなしの資材を人様のために尽くすことと、納税することだと思ってやまない。確定申告はお早めに。
人生かけてうたの仕事しようと思った。今週来週くらい来る生徒の皆さん、1・5倍くらいは濃いでっせ。
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閑話休題
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帰ってきたら、実はとても気にしてたんだけど、息子の勤務地が決まり
うつのみや だって。すべて希望通りの配属らしいが。
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うーん。
今年一年二人暮らしでほんと楽しくしてしまったので、母として悔いはないけどさ
母は泣かないで旗を振らねばならんね
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日本国のために働く立派な人になってほしいです。
どこに立ってもやっていける「体力」をつけたと思うし。
高い学力をつけるということは、自分のため、他人のため、そして国のためという「ため」があるなら、最高級の「ため」で生きていける、生きなければならないということです。
原資がかかっている、国から、(微力であったが、私からもね)
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好きに生きる、などとは才能のないものにとっては「害毒」でしかない。
才能とは自分を亡ぼす病気である。ありがたいことにほとんどのものにはないので安心。
才能のないものはひたすら自分のなけなしの能力を人に差し出すような生き方をした方がいいのである。
自分のために生きようとすることは能なきものにとって拷問である。自毒でやられるというか。
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人は毒である。微毒か猛毒かはあるにせよ。他人に使ったときに薬になる。私たちは皆薬売りなのですよ。
その「売り方」を教えるのが教育である。高く売ろうということではない。飲み込んでもらえるような「工夫」を教育と呼ぶ。
もちろんそこには金銭が介在するので、人は一銭でも高く売りたいが、それは「あとの祭り」でしかなく、銭とはそのやり取りの「瞬間」でしか「真実」めいたものは発生しない。
「悪いことして銭儲けをしてはいけない」のはその先に銭による「毒」が貯まり、高脂血症や痛風になる恐れがあるからです。
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好きにしたらいいよ、と私は親に再三言われて育ったが、「好き」なものなどないのである。
好きなものがない上に、決まりのないだらしない家だったので「当たり前のしつけ」もないのである。
トイレをどこでしたらわからない犬ネコのように、どこでなにしても「怒られ続ける」私であった。
じゃ、享楽的に生きようか、ったって貧乏性遺伝子がそういうことも許さないし、
私は本当に迷ってた、萎縮もしてたし、引きこもりでもあった
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それを脱却しようと、ししろーと暮らして「貧乏」になろうとした。セイカツ、が私を「罰して」くれるのではという期待があったが。
今ならわかるが、貧乏が欲しかったんではなく、私は「リミット」が欲しかった。
でもそんなの初めに親がしつけてくれればいいだけのことでなかったか?
勉強はちゃんとしましょう、トイレは砂でしましょう、お箸はちゃんと持ちましょう、ご挨拶はちゃんとしましょう、そんなことよ。
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娘のところに来ている3兄弟の末の妹が発狂した。
レッスンを待っている時間に、付き添いのお母さんに「くまちゃんかいて」といったらしく、お母さんが「くまちゃんを書いたこと」に発狂したのです
すべての色鉛筆を投げ出し騒いだらしく、娘が「帰りなさい!」を目を見て腕をつかんでいうと大泣きしたというんですね
安心したんだと思う。人はランドマークがないなら歩けない。ここだからここ!と言ってもらいたい。そしたらそこから「スタート」できる。それを言うのは少なくとも「親」だと私は思ってやまない
「ここ」が『ここ』であるには少なくとも1名以上の認証がいる。いや、いずれ「知る」だろうがさ。私はやはりきちんと家庭が機能してほしいと思う。それが一番早いから。
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私の話に戻るが
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で、出来もしない音楽で「リミット」を作ろうとしました。痛いだけでした。
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だから親がちゃんと壁を作らないと
それを越える調教犬のような訓練をしないと「壁」も認識できないし、脚力もつかないし、「回避」もできない。
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貧乏はいいよ。壁になるから
くだらない決まりもいいよ、壁になるから
バカな教師もいいよ、壁になるから。
バカでえばってる父親っていうのもいいよ、壁になるから
ひたすら決まりを守って「フツウ」を順守するように言ってるバカなお母さんというのも古典的な壁よ
でもそういうのくだらない、っていうことになり、じゃ新しい「壁」は誰が作るのさ
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一番難しいのは壁がない事よ。今の子どもたちのあるいは親たちのお困りごとはそこであろうが、では親が身を挺して「壁」になる勇気はまたないのである。
いい人でいたいからね。理解ある友達のような親など「害毒」である。
好きにしていい、とか物分かりがいいとか、東西南北を決定するものがないって樹海に子どもを放つようなもんではないか
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私の話に戻るが
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樹海から生還しました。
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だから子どもたちには羅針盤を持たせたつもりですが、機能しますか、いや、うつのみやは北ですね、仙台よりは南です・・。私は鉄道好きなので、よく鈍行で行きましたが
そういう街での「ある人」の生き方なんかを物語にして考えるのが趣味なんですが、その都市特有のデパートがあると萌えちゃうな。今はどこも経営が苦しいでしょう。いろいろ腐心している「そこ」が地方都市を感じるポイントです
山梨の駅前のそういったデパートの最上階のエビフライとか。その哀しさから地方は出発するといいと思う。それ「どこにも」売ってないから。わたしのセンチメンタルはまだかすかに「そこ」にある。でも「地方」がそれに気がついたらもうそこにセンチメンタルはないので、私の「悪趣味」な旅行も終わるんだけど。
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私はシビックセンターと男女平等センターと銭湯と成城石井とイタリアにしか行かない。でもうつのみやも行く(泣)
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岸壁のスタバトマーテルは考えるよ
ネコでも飼おうかな。
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一緒にコルソ参加であったイカラシさんからは、猫じゃなくてうたでしょ、というメールが来てる
イカラシさんって、後半生であった最大の友だと私は思っています。素晴らしい声の持ち主なのになぜか毎度自信がないが(日本歌曲コンクールで奨励賞を取ってる)彼女の目指す「最高」が少しわかるようになった。
「押さない歌い方だととっても前に来るというか、説得力のある歌になる。
押してる!と言われた時はむしろ聞く方が後退したくなる感じ⁉️これが違いなんだととてもわかりやすく思いました。
ほんとにルチア先生がおっしゃる通りなんですよね」
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そういうことですね。
いいうたって、観客の耳が開くかんじ、スピンジェレ(押してる)とマエストラ・ルチアはすぐだめ出すのでほんと怖かったです。でも最後はよくわかった、スピンジェレとイタリア語の位置でうたうというその微妙な線が見えるようでした
こういう感覚は持って2週間(早)でしょう。夏にも行くべきなんだろうな。
来年は6人予定で行くが(もう5人は決まってるんですが)一日多くしました。こんなコルソはあるようでない、とピアニストが言ってましたが、そうだと思います。
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うたやっててよかった。
イタリア出国の際、入国ハンコが見つけにくいところに押してあるというだけで、なんか英語でまくしたてられたが、わかんねえよ。むこうが違ってたのに謝りなし。
過酷な連日のレッスンでお土産を買う間がほとんどなかったので、最終日の午前午後に綿密な土産計画を立ててたんだが、うっかり皆で昼めしを食べてたら午後に店は全部閉まり、土曜だけ10時からやっている市も回収されてしまった。
でもさ、人も大勢集まってたんだから、せっかくトラックかなんかで持ってきて開いた市くらいもうすこしやっててもいいと思いません?私なら夜8時くらいまではやるがな。
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根本的に何かが全く違う。
「儲け時」であっても「休み時」を逃さない。それは私たち日本人には絶対できない所業。
24時間店を開けるとか開けないとか意味わかんない。
10時から12時、4時から6時の間に買い物しないと水も買えないが、その時間はレッスンなので行けないので(自販機も無し)
水は買えません。ルチア先生のように次回から水筒持っていきます
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そんな「壁」も必要
買ってやる(それがたかが水一本でも)という意識は人を路頭に迷わせるね。

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宝槻美代子音楽教室
http://www.houtsuki.com/
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夕方のかあさん

4月7月の発表会はいっぱいになってしまい、また10月あたりも考えます。その先は12月の〆の会か・・。
一年は早い。
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今週末から第2回目教室主宰のイタリアマスタークラスに一週間でかけるが、行くホテルをネットで検索したら、すごく素敵なの。息子のおさがりのユニクロの「シャカパン」持っていくのやめ。
前回のホテルも素敵だったが、つまりイタリアのホテルはほんと、どこもセンスがいいというか、それでアパホテルくらいの値段で泊まれる。
また朝のバイキング形式のご飯、といえば日本のそのクラスのホテルでは、びっくりするような小さいしゃけの切り身やどういう作り方してるの?なスクランブルエッグや味付け海苔や甘ったるいきんぴらなんかだが、イタリアのご飯はいつでもおいしい。野菜や果物がおいしい。地消地産、そこらで取ったものそこらで食べてるという、イタリアは偉大なる「田舎」なのであった。
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もうすぐ息子の赴任先も決まり、私は一人暮らしになるのかどうか、まあそれはいいのだが、息子と静かに合宿したこの一年がいい思い出すぎて寂しいんだが、あああ、すいません、バカ母話で。
私は良いお母さんでした、たぶん。毎日勤勉にご飯を作りました、掃除もしました、学費も生活費も稼ぎました、イタリアのマンマみたいなものです。イタリアの母は強い、そして働きものです。家は常にきれいで、ご飯はうまいです。
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でもそれももう終わりなので、夕方にはちょっとぐっとくるほどなんですが、「ゆうがたのおかあさん」という曲が中田喜直にあるけど、凄まじいうたですよ。
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ひよこのかあさんあちこちむいてひよこをよんでる、ごはんだよー、やっぱりおなじだおなじだな、
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夕方が寂しいのは人の常だが、そこでそれを知っててひよこを呼んでるかあさんですよ。かあさんは子の夕方の「危機」を救っているうちに自分の夕方を救えなくなりました、救ってくれるお母さんはもういないし、そう。かあさんは忙しい、子のいろんなニーズに答えてるうちに自分の危機にも鈍感になるし、無私になりすぎ、自分が保てない、55くらいで死ねるとそれもそれでいいが、そこから下手すると20年くらいはゆうにある。
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週一回くらい罪滅ぼしに母のホームに行くが、私は母に「母です」といわれたり「姉です」といわれたりしてるが。立場としてこの人の「夕方」を救う立場である。
もうこういう施設は「善意」でにこにこいきいきであるしかなく、まだ母は黒いところもあり、喧嘩したりしてるが、それも職員の素晴らしいケアで無いことになっているが、そう、その「余り」を無化させられてしまうところが「施設」なんだと。「いい人生だった」とあなたではなく私が周囲が思いたいだけな「悪意」それを隠す「装置」です。文学的過ぎて恐縮ですが。お願いですから「精神など窒息させてください」。
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育児も介護も自分の「悪意」との戦いだと思う。介護はろくにしてないが、30年やってきた「育児」はあいまいにしてきた自分の主にエゴイズムと向き合うことであった。エゴイズムは止められた瞬間「悪意」に変わるのを知るのが大人になるということであろう。エゴイズムを制御する(出来んのか?)というのも違うと思うし、止める「場面」を作らないというのも違うだろう。「あんたはあんたのまんまで」いられるだろうけど、鍛えられないエゴイズムというものほどみっともないものもないのである。
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「夕方」の憂鬱についてだった。
そこに生徒が来てくれるのでなんとか持っているというか、来月も生徒と遊ぶ会だらけであるが、みんなありがとう、先生出不精ででぶなので救ってください!!
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ひよこをよんでるかあさんにもうひよこはこたえないのであった、かあさんはかあさんのままで死ぬには早すぎ、ではほかのものに?しょうもねえなあ、羽でも売るか。
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ああうたがあってよかった。
「フツウ」なお母さんはどうしているのでしょう?もし寂しかったらぜひ当教室においで下さい・・。うたでもうたってけろ。
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だってさ、生んだ、いや仕込んだ時点からお母さんはずーっとお母さんであり、子ども優先、というのははたから見たら、おいおい、もう娘も息子もあんたよりでかいし、あんたよりピアノうまいしあんたより算数できるしなんだが、ついそれらを弱いものとして見積もってしまうという癖。もうお母さん張ってなくてもいいんだが、そんなものに固執はないんだが、癖ですよ、癖。
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看護病みたいになってるわけです。みんなにご飯作り続けて30年、自分の食べたいものなどすでになく、何が食べたいか問われても答えられない。みんなに作ったものの余りを食べるんです。
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私は日本会議に推奨されるようなお母さんであった。朝ごはんを食べようキャンペーンのうたもうたっているマミーシンガーズだが、おいおい、メンバーほんとに朝ごはん作ってたか?私は朝ごはんに炊き立てご飯を出さなかった日はほぼありません。
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でもそんなのは当たり前のことです。親はこどもの世話をし、子どもはちゃんと学校に行き、その先はちゃんと働き、全員税金を払い、日本は狭い国なので、みんなが「ちゃんと」してなきゃダメではないですか。
なんですか、みんな違ってみんないいとか、個性などと言うものは徹底的に個性を失くすほど鍛錬しなければ出てこないものだと教える大人がいなければ闇です。日本会議推奨の寒風摩擦もありかも。
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いや、それを圧力からではなく、自分で鍛錬する人間を作るにあたり、「親」はどうあるべきか。自分が寒風摩擦するような人間で、こどもにそれを叩き込む、というようなやり方は「自分の道が正しい」という自己顕示が見え隠れで、これこそ「虐待」への道。では昨今流行りの褒めて育てる系の、できたらやろうね、でもやれなくても僕はそれを責めないよ系もただのわがままな使えねえ人間を増やすだけ(で勝手に傷ついて引きこもったりする)それもあんまり成功しておらず、今の親は何を信じていいのかわからん状態。
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わからん。「貧困」や「戦争」やらから自由であった時代は案外少なく、それは「飽食」に慣れていない遺伝子にどんどんカロリーを与えられてしまい「デブ」になり困惑している「幸せ」な私たちのメタファーである。
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家庭を理由に音楽をさぼらない、音楽を理由に家庭をさぼらない、というのは33で二人子供を設けたうえでもう一度音楽をやろうと思った私の中の戒めでした。
できたんだかなんなんだかよくわからんが、離婚してんだから失敗だったんでしょう「家庭」は。でもうた、ああ、そこですよ、去年よりずっとわかるようになってるけど、だからなんなんだなわたしのうたがですよ。
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私は毎日愛する自分のうたを抱きしめて寝ます。
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教えるのは確実に進化したと思っているけど。さらなる進化のためにイタリア行ってきます。メールは通じます。案外夜暇なので皆さんのメールと日本から持ってった社会学の本と週刊誌が頼りです、Ciao,ciao!

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発表会参加者募集

 1月5日から発表会をやっている教室なんかうちしかない。
しかし12名も出演、熱演。
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当教室の生徒がうまくなるのは、第一に私の教え方がうまいからだと、自画自賛。
それはそうとしても、どう考えても発表の場の多さなのではないだろうか?
価格破壊。あのレベルのピアニストを頼み、合わせをし、曲がりなりにもホールで、共演者も快くレッスンにまで来てくれて、共演者の皆さん、ありがとう!!
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どんどん利用してください
以下決めました。早いもの順。
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1)4月12日(金)夜6時20分からリハして7時半から本番。お一人10分程度 シビック小ホール 10名まで
2)7月6日(土)夜6時半から本番 お一人10分程度。リハは6月22日 ともにシビック小ホール(つまりホールに2度出れます)15名まで

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自分のうたを取り戻そう

1月5日なんか松の内じゃん。
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朝9時半から合わせして10時ちょいから当教室発表会(12人参加)皆さん熱演で(うまいよここ)12時半になってしまったが、その後1時から二期会マミーシンガーズ新春オペラコンサートのリハ2時半から本番。
何がすごいって、ピアニストの中島裕子さん(全部任せてしまいました)です。わたしはこの人に出会えたことが嬉しくてたまらないが、私も二期会のピアニストやらいろいろなピアニストは知っているんだが、うまいとかそういうことで言い尽くせない。「ありえないです」
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音色がきれい。
もう一度生まれるとかあるなら、こんなピアニストになりたい。その上人格が良すぎ。それはピアノに愛されているからだろう。
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私のように、愛されない、ということを「糧」にして何とか持ちこたえている人生もあるが、ゆえに愛されている音、に参ってしまうのである。
音楽は愛されてない人のやるものではない。才能といってほとんど近いけど、本当にすべて持っている人は天衣無縫なのである。
そんな人は少ししかいないので、地球は嫉妬のるつぼである。
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でもなんかやって生きてかなきゃならんじゃんよ!
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しかしその5日に中島伴奏でうたったRitorna vincitorは少し何かが見えたような。
いや、12月にマエストロ・ジッベラートのレッスンでいわれた「支え」の意味が今更ながら最近よくわかるようになってきた。
支えてない音は即座に指摘されるということで、やはりイタリアに行く意味ってそこだと思う。
これいいでしょ?な私ごときが考えたちょこまい「表現」は全部即座に没であった。
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支えから声を出す、ということが声楽のすべてだと思われるが、支えって何?
これしかない、という覚悟のような、腹をくくるとかそういう・・。つまり横隔膜をどうするこうする、そんなことでもなく、それは「嘘をつかない」に近い。
あるいはだらだら長年続けているというようなことも同義だと思っている。やめない、にはなにか神々しい理由がある。祈り、とかそんなことに近いか。
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私は小学校のころから「人に指図される」ことが馴染まないのであった、自分の支えは自分で!と主張している割にはいろんなものに依存しようとする卑怯な人であるが、しかしやっとうたがうたえるか、な。ちょっと嬉しいお正月。自信の発端がつかめるような気がした。自分の無能と手を打つ、いや、自分の才能を「受け入れる」。学校教育って、バカが指示することに耐える、が目標。それ「受け入れられたり」するお友達と仲良くするのも何かの修行なのか。つまり「支え」がない事自慢みたいなさ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今日7日は正月飾りをすべて終い、七草がゆを炊きました。私はこの手の日本の行事をちゃんとこなす日本会議推奨な声楽家です。一月一日といううたも高らかにシビックでうたいましたよ。でも人に言われてやるのが嫌なんですよ。自分の支えから行動したら日本会議の推奨するようなことしてた、というのはいいけど、強制されてやるのは依存で洗脳、つまり支えの外部委託。洗脳の先には破滅しかない。自分の支えからやろう、そうすれば人の支えも支持できる。みんなちがってみんないい、なんてそこからしか言えない。
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周辺のバカに懲りたらぜひこの教室に来るといいです。ここは梁山泊です。ちなみにバカとは言語がメタ出来ない人を指します。良識人の苦しみ所はいつの時代も「バカ」にです。言語で何言っても通じねえし、バカだから。
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今日はピアノのレッスンに久しぶりに行った
前回キブンヤさんで端で何となく弾いたバッハのイタリアンコンチェルトだが、一応人前で弾いたのでそれは終わりにして、次回はベートーヴェンソナタの25番ってソナチネのようなものだと思うでしょう?いやなかなか難しいのである。今日はじめてヘンレ版を買わないとだめだと思った。井口版でずーっとやってた時にわからなかったことがいっぱいあることに気が付く。スラーの終わりの感覚とか、それに付随する指使いだとか。つまりそれはどう「うたわせる」かの方法に過ぎず、音楽のすべての大本は「うた」なのであった。
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じぶんのうたを取り戻す(ということは初めからあったと?そう、あったと思う。誰からの?自分からの。)

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あけましておめでとうございます

やはり正月は家族なんですか。
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今年は徹底的にうたを極めてやろう!などとまた夜郎自大になっていますが、それは毎年そこそこは極めており、というか苦しんでおり、もうこれはライフワークの域に達しており、誰にも聞いてもらわなくていいくらいなんだが、とりあえず5日にRitorna vincitor をうたう、この日午前中は「新春発表会、朝!」もあるので(結構みんなうまい)ぜひ。文京シビック小ホール10時くらいから来てください。
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「家族」というテーマで本を読んでいるここ何年間。
これも少しずつ考えをまとめていきたいなあ、と思っているんだが。
それに付随した郊外論に最も興味がある。家イエとハウスとしての家、潤沢に本が出版されているわけではなく、その辺は食指を張っているのでほぼ読んでいると思うのだが。
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「東京から考える」東浩紀・NHKブックス/「団地の空間政治学」原武史・NHKブックス/「滝山コミューン」原武史・講談社文庫/「団地の時代」原武史・新潮選書/「ショッピングモールの法哲学」谷口功一・白水社/「新東京風景論」三浦展・NHKブックス/「現在知・郊外その危機と再生」三浦展ほか・NHKブックス/「都市からの視線」若林幹夫・青弓社/「郊外の社会学」若林幹夫・ちくま/「生きられたニュータウン」篠原雅武・青土社/「郊外の誕生と死」小田光雄・青弓社/「郊外と現代社会」若林幹夫ほか・青弓社
このほかにこれは!という郊外・家族論の本があったら教えてください。
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これらの本がなにか物足りずなのは、みな著者が「立派」な男でさ、そこで家庭を営み、生み育て老い死ぬ、「女」が書かれていない。女とは具体的なものでもなく「動けないもの」としての暗喩だが(「動かない」を「動けない」と言い換えることにより女は勝利したんだが。その戦略は巧みすぎて、ぼーっと鼻水垂らして突っ立ってる男たちにはとてもとても・・「やった」を「やられた」といってるうちは大人になれないが、いつまでも少女でいたいからね女は。毎日どこかからひょこりはんのように伊集院少佐や青いバラの人が出てくると思ってるから、me,too、でも今まで「やった」を利用してきた女たちが、「やられた」と主張し、その利益供与を受けないことにし始めたことは歴史的転換点かもしれない。しかしねそれは所詮「やり」を「うり」にできる「女」の話なのさ。女の大多数はそんなの関係ねえもんね、若い人たちって「真面目」よね。バカなのか、と思うけど。言語がメタ出来ないという意味において。男、大変よ、ぼーっと突っ立ってんじゃねーよ、とか言われて。でも立てなきゃなんないし、萎えるわ。少子化に歯止めはかからないでしょう。そのうちもっと強い女が出てきて「やらせてやった」とか言ってくれたら小気味いいです。新年からこんな話の展開になるとは思ってもみませんでした)
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テニススクールに通おうが、カラオケに興じようが、声楽を習おうが、そんな気晴らしでどうにもならないのが「人生」ってもんだと思う。しかしどれも「修行」すれば突破口になるのだが、そこまでなかなか追求しないし。お肌に悪くない程度な感じだと「気晴らし」にしかならないと思う。
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人間はサルではないのだから、「置かれた状況を考える」ということだけが一点突破の全面展開だと私は思うがね。
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気晴らしなんかしながら「シアワセ」な振りすんのやめようぜ。私たちは「ここ」にいる理由が見つけられない。だったらもう叫ぶしかないのである
うた、というより。
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「声楽」というのはあくまで「言いがかり」である。
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新年早々吠えてますが、こんな感じです。今年もよろしくお願いします。

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文京区の宝槻美代子音楽教室の講師によるアットホームなブログをご覧ください

文京区で人気の声楽教室・ピアノ教室、合唱教室を運営する当教室のブログでは、丁寧できめ細やかな指導で信頼ある講師が日常のエピソードや、音楽にまつわるお話を楽しく語っております。講師の素顔も垣間見ることができるブログとなっておりますので、受講生の皆様をはじめ、ご入会をご検討の方もぜひご覧ください。
宝槻美代子音楽教室では初心者の方から音大受験対策、主婦の方やお仕事をされている方、リタイアされた方まで世代やお立場を問わず、目的に合わせて楽しく学んでいただけます。
発表会や音楽教室に通うメンバーとの交流会など、音楽が好きな方が集い、楽しめる機会やご自身の歌やピアノをご家族やご友人に披露する機会なども豊富にございますので、ぜひお気軽にお問い合わせください。