異形奇譚
メリークリスマス
金曜日にライブをやったんだが、私にしてみれば初めてコントラルトとしての何曲かをうたったという訳だが、どうだったかはわからないが、自分としてはうたを好きになった、って今まで嫌いだったのかよ?こんなに教えてるのに、だが、嫌いだったかもしれない。
ソプラノの努力が嫌だったんだと思う。
大体がお姫様やらみんなに好かれて困っちゃう〜なキャラ、あるいは悲劇のヒロイン、全然わからない。そこいくとコントラルトとはまだこれから勉強(今の所レパートリーは3曲)だが、どれもこれもキワモノが多くしっくりする。今までやってた曲で、同じ調でもコントラルトだと思うだけでうたいやすい。
つまり自己認識が変わっただけ、と言えばそうなのだ。でもなんでもそこだろうよ。
お姫様やお嬢様好きって女の子、もう幼稚園の頃からいるよね、ひらひらドレスとかに興味があったり、それは遺伝子に入ってるレベルだからどうにもできないとして、環境がそうならいいけどそうなってない場合はそのギャップ埋めるため素晴らしい努力をするわけだが、そういう「あがき」をあざ笑うのは品がないから止めるけどさ。私はキワモノゲテモノ好きである。そっちの趣味はすぐに叶うからいい。
でも偽悪的にならなくてもいいのさ、どちらも極めれば到達する地点はさほど違わないと思えるから。
もう還暦過ぎたら好きなように生きていく。
身に合わない努力もしたし、私はかなり無理をして走り続けてきたような気がしているが(気のせいかもしれないが)しかしそのおかげで何が正しい努力なのかも少しわかってきた気がする。なんでもギリギリまでやらないことには先は開けないと思う。若い頃はやりたいことを探すが、やりたいことをとことんやれば「やらなくていいこと」が見えてくる、それは限界点ではなく、そこからが外に初めて開かれるというか、自己チュー(自己中心主義、あるいは自己中毒)からの解放である。
平和な時代に生きるとは、自分の「好き」を生きなくてはならないという課題を常に突きつけられ、いつも「本当の自分はそれでいいのか?」を気にしながら、本当もへったくれもない、食うために走ってるうちに見つかる何かもあるだろうに、「そこから」入れない私たち。
いつまでも「自分」が捨てられない自己肥大症の治療にずいぶんの時間を使って、さらにみんな路頭に迷っている。
その自己肥大症の有効な治療方法とはむしろそのものをもっと大量に摂取させるショック療法的な治療法あるいはチビチビ摂取する減感作療法的治療法、ぜひ声楽をやってみませんか?
人前でスポットライトを浴びて自分の声を披露するってどうなのよ?
いっぺんに「本当の自分」など吹っ飛ぶが、そこからがスタートなのだ。ましてクラシックとは「個性」など一つも相手にしないジャンルではないか。
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土建屋:呼んでいただきありがとうございます。ネタに詰まると呼ばれるような気もしますが・・いいお天気なのだから、周りは全員ノートパソコンに向かっているような本郷3丁目のドトールなどにいないで、どこかに遊びに行きましょうよ。
先生:今日は休みで、むしろやることが多くどこへもいけません。自営業などこんなものです。今日は用事がありUFJ銀行に行きましたが、今時女子が結構なポジションにいるのでしょうか?個室で女子二人に囲まれて尋問されてましたが、綺麗にしているのねOLさんは。身だしなみというものでしょうが、ネールもきちんとしてるし、隙がない。こちらのだらしなさが際立っていました。ささくれが酷すぎる手でサインしたりするの恥ずかしかったです。このささくれはなんとなく不幸な女の象徴のようで嫌なんですが、寒くなると即刻出現、冬の季語でしょうか?人差し指右指の端が痛く、今月末にピアノフォルテの会で弾く曲は私には難しいのですが、痛くて勝手に指使いが変わってしまい練習になりません。でも綺麗な指で隙ない格好で一体何をやってんだ?と言うような自営業のおっさんのような感想を持ちました。そこに「本当はあるのか?」と言う気になります。
土建屋:家でも売るんですか?
先生:ちょっと考えましたが、今って不動産バブルですか?
土建屋:ちょっとそうです。
先生:売ってもいくとこないから売りませんが、どうして都心のマンションはこんな誰も買えない値段になってるんでしょうか?
土建屋:でも建てたらどこも即日完売ですよ。
先生:誰が買うんですか?
土建屋:買える人が買うんです。
先生:誰なんですか?
土建屋:金持ちです。
先生:でも金持ちは固定されない良さで生きてるんだから(つまり自由度が高い)家なんか持たず、毎年好きなところで好きに暮らせばいいのにと常々思います。金って「固定されない自由を買う」ためにあるんじゃないでしょうか?
土建屋:自分が住む人もいますが、転売、あるいは賃貸に出すとかの人もおられますよ。
先生:そんな投機の対象となってそれの仲介役に土建業があるなんてくだらないですよ。いい建築を残すだけが大事ではないですか?少なくとも今後100年近く建っている物件は公共性があるわけだから景観なども細心の注意を払って欲しいし、環境も守って欲しいと思います。
土建屋:その辺は考えてないわけではありません。そこと利潤の追求でいつも葛藤しているというのが大雑把に言って今の地球上の全てではないでしょうか?
先生:土建屋さんにしては大きな物言いですね。感心しました。神宮の森は貴社が700本伐採を200本減らしたとかそうでしたか?まあ低レベルの葛藤ですが、そのくらいの比率の気の使いようなんでしょうね。まあ善処、あそこを球場も含め再開発する費用はタワーオフィースでも建てねば賄えないでしょうから、ここのマンションもそんな理由でタワマンになりますが、修繕すればいいんじゃないかと思いますがね。そのためにお金を出すなら私は惜しみませんよ。
土建屋:本当ですか?
先生:そんなみんなが欲と道連れと言うわけではありませんからね。みんながソウド、ウンズにそそのかされた与ヒョウ(オペラ「夕鶴」より)と言うわけではないです。「金は誰でも欲しいでよ」与ひょう。私は夜な夜な布を織るつうですが、その布も大した値段では売れないところがお笑いですがそれでもつうでいたいと思います。
土建屋:それはオペラの話なんですか?
先生:初演直ちに終演な作品の死屍累々な日本オペラにおいて唯一何百回も上演されているオペラです。日本の民話にありがちな報恩譚です。木下順二の戯曲に一言一句訂正を加えないという約束のもと團伊玖磨が作曲したものです。まあこういう俺様な昭和男児が考える女、という感じもしますが。女の「愛」に基づく労働は斯様に男に社会に搾取されていったのでした、でも女は愛守り死んでいく、だなんて、坊や、どこみてんの?と言う気になりますが。
土建屋:この辺の話になると俄然元気ですね。
先生:私に後悔事項があるとすれば、法政の社会学部を中退したことです。一年目の社会学関連の必修が「福祉」でなんの興味もなかったなどが原因でしたが、社会学とは何をやっても良く、特に家族社会学など今私が一番興味のある分野だし、4年まで行けばそういう分野にも進めたかな、と。
土建屋:でも何を専攻しようが最後はOLだったりするんだから、先生には向いてなかったですよ。
先生:それもそうかもしれません。
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ことし最後の行事はピアノフォルテの会を残すだけです。
12月27日(金)14:00〜くらいから
江戸川橋ピアノパッサージュ
入場無料。
譜めくりにりっちゃんが手配できず、なんとピアニスト菅原さんがきてくれるのですが、勿体無いから何か弾いてくれよと言ったら「ラ・カンパネラ」でいいですか〜?と言ってました。タダで聞けます。