うたの技術とは
イタリア研修旅行2025年は終了したわけだが、来年分も決まり、教室で「要綱」をお配りしているので、みなさんに告知してから募集締め切り(8/20)にしようと思います。これ以上素晴らしいクラスはないと私は自負するものであります。奮ってご応募ください。
イタリアも暑かったが、朝晩はそこそこ涼しいので、クーラーは切って寝ることができるのは助かった。地球はどんどん温暖化するのか?CO2が一番出まくるのは戦争ではないのか?いいかげん紀元前からやっているようなスタイルはやめてオンラインゲームでやってはどうか?バーチャルでも今はすごい技術があるからリアルに近い形で臨場感たっぷりにやったら戦争欲も満たされるのでは?
どんなにやめろと言われてもやめられないことの一つに戦争があるよね。人口学者に言わせれば人口が無限に増えることを抑制するための集団自殺に近いものだというんだろうが、不平不満の蓄積はどこかでカタルシスを迎えなくてはならない。それを思いっきりドラマチックに自分に花を持たせる形でやりたい。それが戦争だけど。
戦争にはドラマがあるから(平和な時代はドラマが作りにくい)オペラも背景は戦争していることが多すぎる。
幼稚園の先生を10年やっている生徒が言っていたが、最近注意欠陥多動症的な子供がとても増えてきて、クラスの3分の1くらいになってるというのだが、この子たちは人類の「進化系」なのではないか?というんですねキラッキラに見えると言っていた。嫌なことはせず、好きなことにはとことんこだわるらしいが、集団行動が取りにくいというが、それなら「戦争」のようなことは不得手よね。こんな形で戦争がなくなる方向に向くとは。仲間意識が持ちにくいというか、集団狂気に巻き込まれないというか、他人への共感が少ないというが、つまらないナショナリズムなど持つくらいならその方がよほどいいではないか。
付け加えるなら多分うたがうまい。周囲への配慮ができないのか頭ガンガン鳴らして喋ってたりする。
うたは「周囲に気を遣って」「目立たないように周囲から浮かないように注意して」「なるべく周りと和すように」している人たちにはやりにくいジャンルだ。殺しているのは声だけではないからだ。
そこ行くとその進化系は頭鳴らすのに躊躇ないよね。どこでも大きな声で喋る特徴がある。みんなと和して突出しないように静かに気を遣って仕事をする、と言った人間ばかりだとこれから先の困難な時代を突破できないのかもしれない。
うたの技術は流石にイタリアで書紀のように先生の一言一句漏らさずに聞いて書いてきたからかなり了解できたが、音の質はその人でしかなく、その人の全部は声に出る。それは「個性」などという肯定的なものいいでは決して捉えきれない「全部」。うたやってなかったら、「私って結構はっきりものいうところあるじゃないですか?」なんて生ぬるいこと言ってたんだろうな。自分を知り尽くす、曝け出す、暴き出す、自分を知り尽くして死にたいと思う人はやってみるといいと思います。
それには徹底して技術を学ぶことかもしれません。変な「個性」とはクセであり、技術とはそれを取り除く装置だ。そのさきに「ほんとう」があるのでは。
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今日は休みだが、ピアノ習いに亀戸へ。なかなかいい先生だと思う。技術と本質といろいろをバランスよく教えてくださる。Debussyのアナカプリの丘はほんと笑えるくらい弾けないが、もっとよく楽譜を見ないと。Debussyは楽譜通り弾けばいいようにできている。
それ終わってついでに来年4月の発表会の会場代を払いに(すみだトリフォニー)4月はキャンセル待ちになってしまった。毎度タイミング悪いと発表会に出られなくなってしまいますね。錦糸町。東武ホテルというシャビーな感じのホテルで涼んで書いてるんだが、ここ入るといつも昔(35年くらい前)バイトでやっていた「ブライダル」を思い出す。東武ホテル錦糸町の内装がそうした結婚式場を思い出させるのだ。結婚式(教会の司式の)で讃美歌2曲歌うというバイトで、みんな音大出てプラプラしている人たちで境遇が似てて面白かった。会館系の式場何箇所かで、行くところは1ヶ月前に決まるんだったかな。こんなところででも「結婚式」ってあげなきゃいけないものか、と思った。私は自分もやってないし娘もやってないし(やりたければやればいいと思ってたが、私に似て更に興味がない)こういう「虚飾」の会に大枚叩く気がしれない。当然あちこち呼ばれたりするが、そこではそこそこ感動するが、なんの意味があるのか、誰がやりたいのかわからない。多くは花嫁(この言い方も何?)のお母さんがやりたいというが、なんで?
結婚とはこういう虚飾の会を開いてケーキでも食べないとこの先やってけねえよ、なものだからか、両家の見栄の張り合いを人を呼んでやりたいのか、姉の結婚式の時は私はうまくもないピアノをずっと弾いてなくてはならなかったが、紹介の時に姉はフルートを嗜んでいることになってたが、一回も聞いたことねえよーと思ったが、このくらいの可愛い嘘はつくものなのか。
そういうみんなの虚飾の会でバイトしてたわけだが、いろんなお家があったなあ・・。お父様かと思ったら新郎だったり、新郎が貧血で倒れたり、花嫁が妊娠後期などというのはよくあることだが、どちらかの親族が一人も来てないとか(そういうの切ないよね)田舎の親族が勢揃いで会場はいつも着物のショウノウのにおいで充満していた。
私たちが思い切りベルカントで讃美歌2曲を歌うと驚かれる。NHKの声だとかわけわかんないこと言われたりする。午後はひたすら眠いので大きな声で歌う。3人でうたなのだが、お客さんが入るまでにパート分けしておかなきゃならないのにおしゃべりしすぎて出来ず、いきなり下のパートで全員始まり、次で全員ソプラノ、最後のアーメンだけハモった、とかあった。いい加減なことしてたが、一緒に派遣される牧師も毎度同じ話をするのでした。「私が悪い、いや僕が悪い」と責任を自分に感じ合えるいい夫婦の話というのがあったと思うが、終わってからオルガン担当のおばさんが、「結婚なんかあんたが悪いお前が悪いのなすりつけ合いじゃない!」と言ってたのが思い出されます。
あの時結婚したみなさん、今頃どうしているだろう。私くらいになっているはず。みんな夫婦で21万だとかなんとかの年金もらって楽しく暮らしているかな?離婚しちゃった夫婦もいるだろう、ね、なんか一生って短いですかね?いやいやまだまだこれからが本番!ここまで2人ででも1人でも生き延びてきた我らにこそ祝福の讃美歌を。人生は毎日リスタートの会だよね。