ホウツキブログ
2025年07月14日

諦めは大事か

ここまでやってきたんだから「真実」に近いことを知ろうということなんだが、今まで日本で、特に私の年代なんかの習ってきた「声楽」ってなんだったんだろうと思う。

ピアノ、ヴァイオリンその他の楽器の事情はよくはわからないが、少なくとも今年はショパンコンクールの年で秋から楽しみではあるが、ファイナリストに日本人2名入った前回、もうこのジャンルは世界のトップレベルが出せることにフツウになっていて、それは正しい教育の成果(多分60年くらいしないと出ないとしたら私の先生くらいの代から正しいんだと思う)だ。

声楽が難しいのに「言語」の問題ははずせない。

表情を読み取らせないように、もっというなら「聞こえないように」喋る日本人は多いが、この言語の持つ特殊事情は日本人の持つ特殊事情であり、言語はメンタルでメンタルは言語だから、しかし今は4位なのかもしれないが、この特殊な人民が経済大国になった所以、丁寧だし、真面目だし、上からの命令系統に忠実なのは同調圧力が高いからなので、周りの目ばかり気にして生きにくいと言った側面が個々にはあろうが自殺者が多かろうが、全体としては共産圏でもないのに独裁国家でもないのに、いやそれらよりかなり統制しやすい民、つまり「思想統制」や「独裁者」がいなくてもそれがいるように動いちゃう「パノプティコン」(一望監視システム)が機能しまくっており、文句も言わないで(言ってるけど聞こえないように言ってるので)高い米(5キロ5000円が高いというならケーキでも食べてろと思うが)を安い給料から捻出し(それも安いか高いかは人による。高いのがいいと思うならそうすればいいと思うが、そういうことは四柱推命的に決まってると考える考え方がどうもこの国にはある。運が悪いとかそんな考え方。でもそれはいいことだと思うよ。努力しないで済むし、なんかある種の納得感、安心感、諦念)高すぎて住めない東京になぜか一極集中し(その方が国としては便利この上ないだろうが、こんなんでは都内に住めないよ!と喚いても土建屋優位でなんの手立ても打たないもんだから遂に東京に誰もいなくなったかというとそうでもなく、その親世代が太いかどうかでそこは決まってしまい、そうするとやはり変な納得感、諦念、人を羨まないという清い教え、星の巡りで決まってるという四柱推命だかなんかの影響)修飾が多すぎてなんの話だったかというと、日本人が声出しにくい理由、声楽なんて自分鳴らすんだから、監獄の中でうたうみたいになっているわけだが、誰も注意してるわけでもないのに、もう自分から声ひとつ上げられなくなっている人は多いです。

「ミヨコ、4秒で鳴るあれやって!」

とか先生は急に私に振ったりするが、それは「おい鬼太郎!」を目玉親父で言うというもので去年先生に聞いたらそれはいいね、ということになっているんだが、それを言えない人は多いが、おい鬼太郎もいえないで声楽は難しいよ。

「変な声をいっぱい出さないといけない」

と先生がおっしゃるが、せめて猫の真似くらいはしよう。犬でもいいが。鳥でもいいが。そしてそういう馬鹿げたことは看守に怒られそうでやったことないという「精神」を解放しないと声は出ない。誰も咎めないけど自分で「恥ずかしい」し「馬鹿らしい」と思う思い方がパノプティコンなんだが、そういうのがよく効いてこの国は経済大国なのだ。

しかしこの教室もついにイタリアまで行くようになったのでそれは良いことなんだが、「そんなつもりじゃない、ただ少し声が出たらいいかなと思っています」な人も多く来るわけだから(そちらの方が圧倒的に多い)そこでどれだけ「正しい」ことが言えるかにかかってるな、と思う。

正しいことは誰にとっても正しくなくてはいけない、ということこそイタリアに行く本筋である。正しくやれば誰でも声は出る!

バルバラ・コスタ先生がすごいのは朝10時から夕方5時半まで「うたえる」ことで手抜きがないことだが、その声が圧倒的なのも教え方が平等なのもこれはある意味「観光地商売」である。

この「商売」ができないのに「権威」で高い謝礼で教えている先生方についてきたわけだが、今思えば権威を持ちたがる人々ってどの分野もそんな傾向はありかな。

まとめなくていいけどまとめれば、「権威」が「商売」になり「受け取りやすく」なった時、受け取り側が「正当に」努力でき、そこからが「本物」排出の道だろう。

 初めからこの先生についてたら今頃スカラ座で歌ってたかもしれねえよーなんて思ったりするが、そういう星の下にいなかったということで諦めるが、うちの母が墓場から「あんたは音痴ってずっと言われてたんだからこのくらいできたらいいと思いなさい!」と叱られそうだが。そう、諦めが大事と教えられてきたもんなあ。

 

 

 

 

 

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