ホウツキブログ
2025年01月04日

2025 新年

 あけましておめでとうございます。

 いつも信心深いわけでもない人々が、神社などに出向いているわけですが、私も氏神の「三河神社」にだけは詣で、この地域は三河の地から、職人を江戸幕府が国策で連行してきたという土地柄で、そういう外者がくる場所というのは大抵「低い」。江戸の貧民街に上野下谷地域と共に名を馳せている貧民街本町2丁目だが、今や区画整理だか町名整理だかのおかげで「本郷」に格上げ、でもいいのかもね。貧民街だの部落だのそういう差別がお好みのつまんない人間というのはどんな時代にもいるから、無体な差別されるのも癪。差別はくだらないことだが(している人間が)でも人には差があるので、それはやはり家柄、今でいうならDNA、その辺がますます「科学的」に証明されてしまうと、自分は自分でいい!と思い込むしかなく、あるいは自分よりダメそうなものを見つけ溜飲を下げるとか、そう、人は本当に自由になんかなり得ない。それは自分は自分でしかないことに由来し、それを向上させるったって限度はあるし、そういうことに薄々気がついてせめても反抗でもしようという中学生みたいな心情をいつまでも胸に抱いているというのが若さの秘訣だし、そういうの「向上心」って呼ぶんだよ。

 正月に神に祈ったってそうそう何もどうにもならないというのに、初詣に行ってしまう。人は先は「不安」だからね。

 その「不安」が大きい人と小さい人がいるように思うが、唐突だがうたをうたうのはいいことだと思うよ。本番というのは不安の種でしかないが、それに向けて準備(つまり練習)できるから。

 よく練習したものは大体はそれほどひどいことにならないし、そこに一定の因果関係が認められるからひとまず安心ではないか。

人の不安の正体は「恒常性」への意志だから、そんな毎日退屈で腐ってるとしても昨日と同じ明日がいいなんてどういうことだと思うけど。毎日同じ事志向しすぎて精神的フレイユになっている人はいくらでもいると思うけど、じゃどうしたらいいのでしょう?動けば滑落する危険があるんだから留まったほうが?いえいえせめて三点確保でいかがかな?4つの支点のうち、一つだけを動かす。一気に脱落する危険を極力排した動き方ではある。

 64。減価償却済み物件、元は取れた、何が元かわからんが、好きにする。

 好きに生きるの絶対は「依存しない」事だと思う。何かに縋ったり頼ったりしている生き方は潔くない。

 この危うい「声楽技術」一つ晒しに巻いて生きていくのだ。なんてかっこいいのだろう我。目眩するほどの恍惚と不安、今年もよろしくお願いします。

 

 

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