20歳の集い
最近、ちょっと仕事上必要で「普通のOL」というジャンルであろう人と2時間喋ってたんだが、終わったら頭痛がしてノーシン飲んだ。
よかった、会社勤めしないで生きていけるって。
常識〜!と言ったことを大事そうに語る、なんていうかな、どっこも変じゃないんだが、1タス1は2ですよね、を普通に語っちゃうというか・・。何ともその「違和感」について説明し難いのだが。きっと「親」の言ってること「納得」してるというか、とにかく「変」な事考えたりしたりする能力に欠けるというか。
絶対この世の中は難しくて複雑な事考えたり感じてたりする人の「負け」なので、フツウそうじゃありませんか?に勝てる札はないのである。
そして昨日は成人式だが、変な格好して式に参列などという話題も最近はあまり聞かれなく、皆さん真面目に式に臨んで区長やらの有難いお話を静かに聞いてるようだが、もうこの行政が主催する20歳の集い的なものに参加している時点で終了だろう。例えどんなキテレツな格好して出席しようが。
うちの子どもたちは皆参加してたし、晴れ着も借りたりしたもんだが、そんなもんでたくもないような変わった子どもではなく20歳を迎えたことの喜びと残念が2つ我にあったね。親だからさ。
別にそんなもん出たって「立派」な仕事してる人はたくさんいるし、ましてこれから人と共に生きていこうとするならある程度「フツウ」にしてた方がいいですよ、というのもわかる。
でも20歳くらいの時、そういう既成の、誰かがしつらえた「善意」やらに不信感を持て、抵抗やら無駄な抵抗などをしろよこら、スマへばっかりいじってんじゃねえよ、と思ったりするんだ。全てを疑え、全てを否定せよ、孤独であれ、独自であれ、夜郎自大であれ、不遜であれ!
前にも書いたと思うが、私は成人式はこたつで寝てたよね。そしたら家電にH電話がかかってきたのだ。名を名乗れ卑怯者!などと叫んだら「お茶の水の吉田です」と言った。その後も憤怒収まらず説教してたら、むこうから切られた。
情けないひとり20歳の集いであった。
でも行政の主宰する会になんか出るよりよほどよかった。そしてその後の人生も「正しい」を叫んで叩かれるというようなことは多いし、この手のもっと偉い人に佐藤愛子がいるが、その「ソクラテスの妻」はまるで私だが。
この「フツウのOL」はフツウのお母さんになり、フツウのおばさん、お婆さんになり、いつも平常心なのは変なこと考えないからだし、
そう、旅行とか好きなのよ、こういうのがどっかいって「お土産」を買ってきて会社で配ることのアホくささについて生徒と盛り上がってしまったが、ハワイに行こうが沖縄に行こうが勝手だが、あの個包装になってるチビこいお土産を部署の人みんなに配るってどうしてどうして?
旅行好き、あっちこっち見て回るサイトシーイング好き。頭軽いからフットワークも軽いし、全部みたい、全部写真に収めたい、それが何?
もう吉田兼好になっちゃうが、そういうの「いなかにまかる人」(つまり粋のわからんやつという意味だろうが)などと言って思いっきり貶してたが、昔からこの手の人間はこういう「ばか」に悩まされてきたということだが、そんな人放っといて見なきゃいいじゃんとも思うが、なんか見ちゃうし貶したくなっちゃうあんたもそれほど「遠く」にはいないのかもしれないけど、文芸の共感、ってここでしかない。文芸は我らの友だし、古今東西地域も時代も越える。
もうどの文芸も「ばか」のヴァリエーションを発掘して披露する会になっているばかりである。昔の親が本を読むと怒ったというが、正しい。その甲斐あって最近の若者はあまり本を読まない。どこでもこの手の「ばか」は居るし、それに悩んでも「ばか」と言ったらひどいことになるし、ちょっとでも「センス」あったらヘラヘラしてるしかないが、ヘラヘラして変な人だね、と言われちゃうが、オラオラ本音言ったら怒るからヘラヘラしてんだよ、わかりなさい。
正月も終わったし3連休も終わったし、またも職場で頭痛の日々な皆さん、当教室は梁山泊になっておりますよ。隠れ家的声楽教室。