ホウツキブログ
2025年06月16日

だからこそうたがあるのではないでしょうか?

  これは水加減を間違えたとしか思えないご飯なのであった。

亀戸でピアノを習う日はその後4時間くらい亀戸アトレで買い物する。で、腹ごしらえをアトレ内でするんだが、チェーン店のトンカツ屋、ご飯が柔らかすぎる。何米でもいいが、米を炊くには水加減が大事ではないか?米によって多少違うが、最近のうちの米は2合に対して375cc380ccかで迷うが、大体その辺である。浸水時間にもよる。浸水は2時間強。炊飯器は持たない。専用鍋で炊く。それが一番うまい。米は有機栽培米しか買わない。ついでに言うと野菜ももう40年近く無農薬か有機栽培(特定農家)のものしかほぼ食べない。味が違う。ぜんぜん違う。発色剤入りのハムソーセージも食べない・・等々。

 こんなこと書くといわゆる「ていねいな暮らし」の木綿のワンピースばっかり着ている(下手すると手作り)天然生活オババのようであるが、みんななんかの「傾向」を持って生きるしかなく、そういう人は「KU:nel」を読んでいそうだし、いまだに「暮しの手帖」の今日の献立を忠実に作っているかもしれない。絶対原発反対、保護猫ちゃんなんかも飼ってるかもしれない、それ私だし。私は他の動植物に優しいというかお人好しさ加減が見抜かれているというか、猫に気使って端の方で夜も寝ているが、2匹とも腹出しで寝ている。野生を完全に失っているのでもう私が飼うしかない。ベランダにちょっと足の弱いキジバトが来たので一回米をやってたら毎日来るので、遠くまで鳩専用の餌を買ってきてあげてたらもう一羽くるようになった。ししろーに関しては説明するのもため息しか出ないが、ベランダの植物はおかしいくらいに咲きまくっているし(水やりは大変)植物はこのマンション撤退の際には全部潰さなければならないが、それ移植するために私は土地を購入しようと本気で考えている、つまり

「いきものがかり」なのであった。気の弱さをすぐ見抜くこれらの者たちに憤りはあるが、どこか諦めのようなものが。

動植物弱者の人間、環境等に気を配るのは「ていねいな暮らし」には大事なことだが、それらに餌やらコメやらを与えるには「経済活動」が必要で、それは「がんばらない生活」では得られないので、天然生活オババになりきるには「パトロン」が必要だ。

またそんなもんばっかり読んで、だが「家事は大変って気づきましたか?」阿古真里 亜紀書房 は秀逸な本です。私はあえてこの言葉を使うが「搾取」された「愛の労働」(つまり家事労働)についてしつこく考えているものである。家父長制は資本主義を支えるに都合の良いシステムだったとして、せっかく大学まで出てたというのに、マルクスだって少しは読んだし、「闘争」についても少しは知ってたというのに「愛の名の下」に容易に巻き込まれてしまった自分の「無知の涙」をずーっと検証していこうと思っているのである。ノラは出ていったのだった。でも私は踏みとどまった。行動に出る出ないではない。考える「自由」が人間にはある。出ることによって人形から人間になったものと踏みとどまってなお人間でいようという・・。

「ノラもまた考えた。バタンと扉を閉めた後考えた・・帰ろうかしら?」太宰

ゆーっくり、自分の歩幅で、気持ちの向くまま、自然体で・・等々、まあこの資本主義社会においてこれを実現するなら、誰かを搾取するしかないという・・天然生活の欺瞞はそんなところに。

「何かになる」のは難しい。

何かに「傾向」してしまうのはしょうがないとして、しかしそれが「絶対」なものになってしまうほどの頭の悪さも持ち合わせていないので、何にも頼れず信じられずいつも懐疑的で不機嫌。

 いつも不機嫌でいるけど紅茶に砂糖なんか添えられて出されたらついニコニコ全部を許してしまうようなお人好し・・(ドスト)

そう私のような人間は「お人好し」と地続きである。

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先生:でも私のように何にも懐疑的で、おまけに出不精で憂鬱な人間がなんでまた「声楽」のようなピャアピャあしたことを生業にしちゃったかと思いますが、ここのところのうたい方であるなら、うたも大好き、声楽万歳です。

土建屋:昔と今じゃ違うんですか?

先生:もう圧倒的に違います。

土建屋:時代に合わせて変わるってことですか?

先生:実際それも少しはあります。特に日本で私くらいの歳の今ほぼ老人の皆さんで「声楽」をやられていた人々は今どうしているんだろうなあ?うたえなくなってるか、揺れたうたい方をしてるかな。後ろを浅くしてマスケラにくることばかり指導してたので薄い感じになってしまう。それがよかった時期もあったんです。声楽に「お」がついてた頃です。最近イタリアに頻繁に行くからか、日本の音、ってわかるようになりました。

土建屋:芸術は永遠なのだと思ってました。

先生:芸術は永遠かもしれませんが、やり方は変わるんです。変わるからこそ「永遠」とも言える。

土建屋:まあ建築なんかも色々変わってますしね。

先生:しかし家電屋も土建屋もあまり女のいない業界なのか?明らかに家事をやったことない人が作ったとしか思えない家電は多いですよ。

土建屋:反省です。でもみなさん限られた予算の中であれこれつけて欲しいようなのでつい・・。

先生:ついゴテゴテしてしまうと言った感じですか。貧乏人は家なんか建てるな、と言ったのは私ではなくイッセー尾形ですが、最近野村不動産が毎日送ってくる物件が、また高い物件を見てたらどんどんエスカレートして20億超えのマンションなんか送ってくるんですが、こう言うマンションを買える人というと年収800万程度のサラリーマンなんかであるはずもなく、そうすると「フツウ」は遠くになりにけりな「その手」の人々なんですか?ちょっとお隣さんに声などかけにくい感じになりませんか?引越し早々は蕎麦など持っていくものですが、どこのそばを持っていったらいいんだろう?ちょっと怖くてエレベータなんかで一緒になっても下を向いてるしかないですね。そう、そしてその手の超高級マンションの内装が案外ダサいんです。意味なく大理石風、いや実際大理石だとしてもそういうのいいですか?なんでもブランド物で揃えちゃうようなセンスのなさ。これなら「Ku:nel」に載ってる無印がリノベした「団地」の方がよほど素敵です。

土建屋:金持ちはその大理石を剥がして自分の好きなような内装にするんですが、そこまでの金持ちは割と内装などには拘らない傾向があるような気がします。

先生:まあ、コンクリート打ちっぱなしにセブンチェアー等の北欧の家具、なんていうのも少し値の張る「天然生活」って感じですか。「ていねいな生活」の延長線上の内向き生活。20億超のものを変える人の興味はもっと違うところにあるんだろうな。

土建屋:何かスケールが違います。本当にこの仕事してると思いますが、お金はあるところにはたくさんあるようです。

先生:そしてないところにはとことんない。

土建屋:平等などということを考えない方がいいですね。

先生:それはうたを20年教えていて本当に感じることですが、うたはまずマスケラと言われるようなところが鳴らなくてはならない。それは誰でも鳴るはずなのですが、いきなりなる人とならない人に別れる。声楽は「手技」がないので鳴って貰うしかない。やり方はいくつか提案できますが、そこがいきなりネックになってしまう人は多いです。

土建屋:私なんか鳴らない方だと思います。

先生:やってみないとわかりませんが、まあ結論から言うと誰でも鳴るんですがね。鳴りたくない人というのがいるのは確かです。

土建屋:習いにきて鳴りたくないんですか?

先生:鳴りたいと言ってるけど、今までやったことがないから全身全霊で鳴らないようにと精神が分裂している。鳴らないように指令を出しているのは自分なのです。さらにはそここそアイデンティティーになってたりするから厄介なんです。それらを指摘することができても生活が変えられない。生活は生活習慣で病気です。言い方が文学的すぎですか。

土建屋:正しい生活をすれば鳴るようになるんでしょうか?

先生:鳴らない人たちが考えるような「正しいこと」をしてると永遠に鳴ら鳴らない、です。私の売りがあるとすれば、鳴らない人を諦めないというところでしょうか。逆に変に「のど」が鳴っている人はもっと厄介なのですがそれも少し治せるようになりました。とにかく色々な人を尋常でない数教えてきた結果です。私の先生は二期会の研修生ばかり教えてるので「ホウツキ、鳴らない人なんかいるの?」と真剣に聞いてきましたが、普通人は鳴りません。

土建屋:先生は鳴ってるんですか?

先生:流石にそれは鳴ってますが、いわゆる「声を持っている」タイプだとも思いますが、それを今の境地に持ってくるまでに30年かかってます。そんなこればっかりやっててスカラ座に出られるわけでもなんでもありません。それこそ、ゆーっくり、自分の歩幅で、やっていくしかないです。

土建屋:何が目標なんですか?

先生:なんでしょうね?納得の行くうたをうたう?明日誕生日なので、同じ誕生日の二期会の友達と飲むんですが、この人のうたは毎度泣いてしまうな。何をうたってても何か震えるような良さがあるんですが、そういうのいいなあ。私も自分の声にはそういう要素があると思ってはいるんですがね。ヒントはやはりイタリアにあるような気がして毎度行くんですが、それは「口実」だろうな。やはり自分の中にしかないんだと思う。でも行くと必ず何かが触発される。でもそろそろ「先」に進まないと。

土建屋:みんな「そろそろ先に進まないと」と思っているんでしょうね。でも一体どこからきてどこへ行くのか、私たちは何も知らされてないんですね。

先生:土建屋さんにしてはポエティカルな。だからこそ詩が、うたが芸術全般があるのではないでしょうか?

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